軌跡<13>

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 スキッフは、轟音を立てて厳かに空を裂いていく。雲よりも少し低い位置を進むその飛行体は、神羅カンパニー所有の特殊な航空手段で、重い鉄の体を大きなプロペラで浮遊させ、自在に回遊することができる。その中にはミーティングルームと休憩室が隣接していて、その他武器庫や弾薬庫も併設されており、小規模の作戦移動には都合がいい。クラウドがそれに乗ったことは、まだ指を数えるほどしかなかった。
「いい加減にしたらどうだ」
 黒いスーツの男が、呆れたように呟いた。
 暗く、狭い乗り物での長時間の移動、それに伴う上下左右の揺れによって、クラウドは気持ち悪さを感じていた。それを周りに気づかれないように沈黙を守っていたが、それだけでなく、機内には重苦しい沈黙がたちこめていた。
「べっっっっつにぃい」
 両足を投げ出し、両手を頭の後ろで組んで、奔放な格好のソルジャーはぶすくれたように応える。彼は最初からそうだった。なにがあったのか、知る由もなかったが、クラウドが出立時刻前ギリギリに集合場所に到着した時から、機嫌が悪そうに、拗ねたような言動を取っていた。
 彼が、今回の作戦に同行するソルジャー、ザックス。クラスは1st、セフィロスと同じ階級である。現状、クラス1stのソルジャーはセフィロスとザックスの二人だけだった。
「そんなに気になるなら、彼女に直接聞けばいいだろう」
「別に、全然気にしてないんですけどねー」
「ザックス」
 彼を制する黒スーツの男は、タークスだ。長く伸びた髪を後ろに縛り、厳しい表情を見せる彼は、ツォンと名乗った。
 ソルジャーと、タークス、それに少数の一般兵で、今回の作戦は構成されていた。
「わかってるって、真面目にやりますよ」
 髪をガシガシと掻く無骨なその男は、大きく伸びをすると、座っていた床を叩くように押して立ち上がる。傍らに置いてあった剣をすくいあげると、それをくるくると自在に振り回し、背中に担ぎ収めた。
 ミーティングルームのテーブルは大きな長方形になっており、そこに腰を下ろすツォンの元へと彼は歩み寄っていく。
「それで、なんでツォンまでいるんだよ。ホランダーの確保だけだったら俺一人でも大丈夫だって」
「…奴と一緒に、ジェネシスもいるだろう。また逃しでもしたら厄介だ」
「お目付け役、ってことね。信用ねぇなぁ」
「任務につけられるだけ、まだ信用されている」
 椅子を抱き込むように腰を下ろしたザックスはため息を漏らしていたが、不意に顔を上げた。指を組んでその様子を見つめていたツォンに、彼は慎重に尋ねた。
「セフィロスのこと、言ってるのか?」
「…さぁな」
 ツォンは明確な返答を避けた。セフィロス――、その名を聞いて、クラウドが僅かに顔を上げたのを、誰も気づいてはいなかった。
 他の兵士たちも、各々任務に緊張している様子で、俯いて蹲っているばかりだ。マスクに隠した瞳に、テーブルにつく二人を捉えながら、クラウドは黙しまままその会話を見守っていた。
「セフィロス、あいつ最近なにしてんの?」
「なにかとミッションに駆り出されているようだな。今はコレルに向かってるはずだ」
「タークスって、何でも知ってるんだな」
 思わず口を滑った言葉に、ツォンが息を詰まらせる。タークスがソルジャーの動向を把握している事実は、あまり知られてはいけなかったのだろう。誤魔化すように小さく咳払いをした彼に、ザックスはしてやったりと笑みを浮かべた。
「…会っていないのか?」
「全っ然。ミッドガルにいるときは資料室にこもってるらしいしさ」
「資料室?」
「なんでも、科学部門のこと調べてるって」
「…そうか」
 相槌を打つツォンの眉間には、皺が刻まれていた。椅子に跨って、それを眺めるザックスと、テーブルの上に指を組んで俯く二人の姿に、一人の兵士が注視を向けている。クラウドは抱きかかえていた膝をぎゅっと掴んで、ゆっくりとその視線を落とした。
 ホランダー、ジェネシス、アンジール。彼らが神羅に仇なす存在であることは事実だ。
 しかし、ジェネシスとアンジールがセフィロスにとって、未だ重要な意味を持っているのだということも紛れも無い事実なのだろう。彼らを連れて戻ってくることなどできるのだろうか。考えれば考えるほど、不安が重くのし掛かってくる。
 深く息を吐き出したクラウドの懐で、マテリアが揺れた。そっと手を寄せると、軍服のポケットに忍ばせたそれを指で包む。
 フルケアのマテリアは静かにそこにあって、クラウドの掌の中であの淡い光を放っていることだろう。目を閉じてそれを感じているだけで、乗り物酔いの不快さも和らいでいくような気がした。
「ま、気楽にいこうぜ。俺らで行って取っ捕まえれば、ジェネシスだって目ェ覚ますだろ」
「……随分簡単そうに言ってくれるな」
「みんな難しく考えすぎなんだよ」
 そう言って綻ぶ青年の笑顔は、緊張した機内の空気を和らげてくれるようだった。楽観的な彼の発言を、タークスは注意しようとしない。それどころか、厳しかった表情を微かに緩ませている。
「頼もしいよ、ソルジャークラス1st、ザックス」
「任せろって」
 胸を叩く彼は、今までクラウドが会ったどの人間とも違っていた。同じくソルジャーでありながら、セフィロスとも全く異なる存在だ。
 黒髪を揺らして笑う彼を見ていたクラウドは、マテリアを握る指をほどいた。それがなくても、空気が十分に溶かされていくのを感じたからだ。
 ミッドガルを経って、もう二時間が経過するところだろうか。コックピットから一人の兵士が伝達のため飛び出してくる。
「サー・ザックス、ツォンさん、そろそろモデオヘイム村に到着します」
「わかった」
――なぁ、その、サーってやつ、やめない?」
 立ち上がるザックスを驚いて凝視する兵士に、彼はどんどんと距離を詰めていく。
「しかし、サー……」
「だから、さ。ここは軍じゃないんだぜ? せっかくソルジャーになったのに、気分が台無しだ」
「仕方ないだろう、お前が隊長なんだ」
 あまりいじめてやるなと横槍を入れるツォンに、ザックスは納得できない様子で唇を尖らせる。腰に手をあてて、数歩闊歩したところで、ザックスは名案だとばかりに目を輝かせ、声を張り上げた。
「よし、隊長命令だ! 俺のことはザックス、ただの『ザックス』って呼ぶこと!」
「……なんだ、それは」
 呆れたように目を細めるツォンを気にすることなく、彼は続けた。
「俺たちは軍隊じゃない、同じ目的を持つ仲間だ。みんなで力を合わせて、ホランダーを捕まえよう!!」
 床に腰を下ろしていたザックスを、兵士たちはただぽかんと呆気にとられたように見上げていた。圧倒的な強さでもって孤高に立つセフィロスと違って、今クラウドの目の前にいる男は、なんと人間らしい人間なのだろうか。
「………あれ?」
 得意気に、拳を高く突き上げていたザックスは、沈黙に耐えかねて周りをキョロキョロと見渡す。しかし、機内の空気の硬直を打ち壊せる者は残念ながら居なかった。
 唐突に、機体が大きく揺れた。その衝撃で壁に打ち付けられたザックスが痛みを堪える。
 クラウドは立ち上がろうとしたが、それを阻む大きな揺れ、そして耳を劈く怒号のような唸り声に、床に膝をつくばかりでどうすることもできない。
「どうした!?」
 テーブルにしがみついていたツォンがコックピットに向かって声をあげた。しかし、その答えを聞かずとも、誰もが既に状況を把握しており、それが最悪の事態なのだということを直感していた。
 インカム越しに操縦士が悲鳴のように叫ぶ。
「モ…モンスターです!!」
 次の瞬間、再び大きく機体が揺れると、衝撃に傾いたままの機体はどんどんと高度を落としていく。床にはいつくばるしかできないクラウドにも、動揺を上回る緊張が走った。
「不時着する…!!」
「みんな、つかまってろッ!!」
 ザックスの大きな声が、墜落の轟音に掻き消えることなく、クラウドの耳に届いたそのすぐ後。スキッフは豪雪のモデオヘイム渓谷に無慈悲に飲み込まれていった。



   ■   ■   ■



 機体から弾き飛ばされたザックスの体を受け止めてくれたのは、柔らかな積雪だった。鉄の燃える匂いとチリチリと火花を散らす炎の音が、静かな雪原に異色を彩っている。
「いきなりモンスターのお出迎えとはね」
 立ち上がるザックスは、振り返って仲間の無事を確かめる。
「ツォン! 兵隊さん!!」
 燃えるスキッフから這い出したクラウドは、ようやく立ち上がった。衝撃に打ち付けられた体が痛むけれど、それ以上の障害はない。
 傍らで立ち上がったツォンが携帯を開く。しかし、彼は画面を一瞥して、小さなため息を漏らした。
「電波が入らないようだ」
「ま、みんな怪我もないんだから、なんとかなるだろ?」
 生存者はたった四人。何よりも任務の遂行を急ぐ彼らは、突然の危機と喪失に悲しむ余裕はなかった。
 軽快な調子でそう言うザックスが、この絶望的な状況にあって雰囲気を和らげてくれていた。
「さすがだ、不便な土地では頼りになる」
「どーせ田舎モンです」
 クラウドの隣で、音のない笑みを刻んだツォンが歩き出した。
「…さて。落ちずに進んでいればモデオヘイム村に着いたはずだ。つまり、このまま進めば村がある」
 ツォンの見据える道は、舗装などまるでされていない。深々と、静かな粉雪が積もり重なるまっさらな渓谷の崖淵に、先の見えない道が伸びていた。
 このままここにこうしていても仕方がない。ザックスは腕を上げると、第一歩を踏み出した。
「よーし! 俺についてこい!」
歩き出す彼に従って、残る三人も雪原を踏む。
 この先に、モデオヘイム村がある。そこに、居るであろう人物のことを思うと、クラウドは、踏み出す足の重みを噛み締めずにいられなかった。



   ■   ■   ■



 雪は深く、誰も通らないその道に、体重を受けて足跡が沈むのがわかる。けれど、クラウドはその歩みを決して緩めることはなかった。
 村で待ち受ける人物のこと、そして、ミッドガルを発つ前に会ったあの男のことを思えば、到着を急く気持ちが強かった。そしてなによりも、同じペースで雪を踏む隣のソルジャーの発する空気が、任務への緊張を高揚に変えてくれていた。
「おーい!あんまり遅れるなよ!」
 後ろに居るメンバーを気にして、ザックスが声をかける。けれど、彼もその歩調を緩めようとはしない。
「お前、なかなかやるな」
「俺も、田舎の出なんだ」
「どこ?」
 彼は親しげに問いかけてくる。ザックスにとっては、ソルジャーと神羅軍の確執であったり、クラスや立場の違いなど、肩を並べている今はどうでもいいことなのだろう。
 クラウドは、その村の名前を出すことを躊躇った。足をとめて、その問いにどう答えようかと迷う。誰も知らない辺鄙な村の出身だということに、コンプレックスを抱いていたからだ。
――ニブルヘイム」
 その名を告げた途端に、彼は笑い出す。予想通りの反応ではあったが、クラウドが恥ずかしい思いをしたのも事実だった。
「っ、ザックスは?」
「俺? ゴンガガ」
 思わず漏らしてしまった笑いを隠そうとはするけれど、クラウドの吐く息に乗ったそれは隠しようもなかった。
「あ、笑った、今笑ったな! 知ってるのか? ゴンガガ」
「いや…、でも、すごく田舎らしい名前だ」
「ニブルヘイムだって」
「知らないくせに」
 再び歩きだそうとするザックスに詰め寄ると、振り返ったザックスが口を開く。
「行ったことはないけど、魔晄炉があるんだろ? ミッドガル以外で魔晄炉があるところはたいてい――
 他にはなにもない――
 視線を落として呟いた言葉は協和した。一瞬驚いたように顔を上げたクラウドは、相手もそうなのだと知って、思わず声を上げて笑った。
 こんな風に人と接するのは、どのくらい振りだろう。むしろ、初めてであったかもしれない。
 ニブルヘイムに居た頃は、友達も居なかった。どう作ればいいのかもわからなかったからだ。ミッドガルにきてからは、任務に忙殺されて、また夢に向かった自分へ課すプレッシャーに、息を抜く余裕もなかった。
「よろこべ、ツォン! 俺と――
 後方で息を上げるタークスへと、手を上げ、声を張ったザックスの視線がクラウドを探し当てる。
――クラウド」
 マスクを外した視線が、彼のものと交差した。ザックスの口許を、嬉しそうな笑みが飾る。
「俺とクラウドがいれば、辺境の地は恐いものなし!」
 両手につくった拳を握り締めて、彼はそうだろうと同意を求めるようにクラウドへと視線を向ける。何故だろうか、勇気が沸いてくるような気がした。
 その隣に立っているというだけで、どのような状況であっても、立ち向かう力が沸いてくる。クラウドはふと口許を緩め、再び歩き出そうとするザックスの傍らで、自らも足を踏み出した。
「ああ、任せる」
 ため息混じりに呟くタークスの声が、雪に吸い込まれて消えていった。