軌跡<14>

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 冷たい風の吹き荒ぶモデオヘイム渓谷は、見渡す限り、白銀の世界が広がっている。寂れた偏狭の村の出身であったクラウドは、舞い散る雪や積雪を経験したことはあっても、ここまでの銀世界に立つのは初めてのことだった。
 軍に所属するようになってから、任務のために様々な土地に借り出されるようになった。そこでクラウドが痛感したのは、自分の卑小さだ。
 世界はあまりにも広大で、それに対し、自分はあまりにも卑小だ。知らないことも多く、経験も少ない。
 大きな目標を抱く少年は、聳える壁の高さと厚さに、当初絶望にも似た不安を抱いたものだ。それは、今もそうだった。
 同じ任務につき、自分と肩を並べて歩くこの青年と、クラウドとの間には埋めきれない隔たりがある。年の頃はそう違いはない。田舎の出身だという境遇の相似も、クラウドが彼に親近感を抱く大きな理由のひとつだ。
 圧倒的に違うのは、精鋭であるソルジャーと、一介の兵士である自分との力の格差。その溝を埋めるべく、クラウドは歩む足を止めようとはしなかった。
「張り切ってるのな、お前」
 田舎育ちとはいえ、雪道に慣れていないのはザックスも同じだった。その隣にあって、決して歩調を緩めようとはしない少年に、彼は声をかける。
「…任務なんだし、当然だろ」
 ソルジャー候補への査定、セフィロスとの約束。今回の任務にはさまざまな目的が内包されていて、決してクラウドの発した言葉の意味、その限りではなかったが、あえてそれを口に出すことは憚られた。
「ザックスも、張り切ってる」
 自分に追究がくることを恐れたクラウドの視線が、長い前髪に隠れたザックスの横顔を掠める。その口元は、交通手段を絶たれ、電波も入らないような偏狭で行く先の遠い道のりを歩く者とは思えない、深い笑みを刻んでいた。
「目的があるからな」
「目的?」
 尋ねる少年へ一瞥を向けた後、ザックスは少し考えるように沈黙した。
 マスクの下に隠れていた少年は、まだ幼さを残した純真な眼をザックスに向けてくる。ふと、ザックスはその口許を緩めた。
「命令に従うだけが、ソルジャーじゃない。どんな任務でも、目的をもって臨むのが、ソルジャーなんだ」
「ホランダーの確保、だけじゃないのか」
「それだけじゃまだ甘いな」
 スキッフの中でそうしていたように、ザックスは右手を高く掲げあげた。
「ホランダーを捕まえて、バカな真似はやめさせる。ジェネシスを連れ帰って、頭冷やさせる。コピーはいなくなって、俺は世界を救う、英雄だ」
 高らかに宣言するそれは、まるで夢物語のような、美しい希望だった。けれど、現実はそんなに甘くはないんだろう。にも関わらず、それを軽々と言ってのけるザックスに、クラウドは驚きを隠せないまま、思わずその場に足を止めてしまった。
「どうした? …できないとか、思ってるんだろ」
「あ、いや…別に、そういうわけじゃ…」
 言葉を詰まらせ、視線をそらすクラウドに、彼は先程までと同じ、明朗な笑みを浮かべて、その肩口を軽く小突くように押しやった。
「ま、いいけど」
 再び歩き出すザックスに続いて、クラウドも未だ足跡のない雪道を踏む。剣を背負う背中を見つめながら、息を呑む少年は控えめに尋ねる。
「ザックスは、英雄になりたいのか」
「なりたいんじゃない、なるんだよ。そう決めたんだ。それに、約束だってした」
「誰と?」
「アンジール」
 間髪入れずに彼は答える。その名前を、セフィロス以外の口からありありと聞くのは初めてだった。
 再び沈黙してしまう少年へと振り返るザックスは、彼がなにやら難しく思い悩んでいる風を悟り、相手にそうと悟られないように、小さく嘆息する。他の一般兵に対しては、アンジールもジェネシスと同様、神羅に害をなす存在として認知されているんだろう。ザックスは、気持ち大きめの一歩を踏み出した。
「アンジールは、そんな奴じゃないよ。あいつは、ソルジャーだ。ジェネシスだって、そうさ」
「…知りあい、なのか?」
 クラス1stのソルジャーはそう多くはない。つい最近昇格した彼が、その二人と関わりがあったとしても、何一つ矛盾点はなかった。低い声で尋ねる少年へと、ザックスはその曇りをかき消すような笑みで答えた。
「知り合いじゃない、友達」
 先に立って歩く二人の大分後ろを、雪道に慣れないツォンと、もう一人の一般兵が続いている。振り返って足を止めたザックスは、徐にため息を漏らして、呟いた。
「ちょっと待つか」
 立ち止まるザックスの傍らにあって、クラウドは相変わらず沈黙を守り続けていた。
 ザックスは、ジェネシスを連れてかえると、他愛のないことのようにそう言った。本当にそんなことができるのだろうか。
 一人で胸を悩ませていた少年にとって、その台詞は確かに心強いものだった。もしかすれば、無謀とも思えたその願いも、現実のものになるかもしれない。それだけの信頼を、この短い間にクラウドはザックスに寄せるようになっていた。
 そして、それと同時にクラウドの脳裏を過ぎっていたのが、今は違う任地に赴いている、セフィロスのことだった。ザックスに問いかけたら、彼は答えてくれるだろうか。僅かな期待を胸に、クラウドは、俯き気味だった視線をあげることなく、声をかけた。
「ザックス、あのさ……」
「ん?」
 彼は人のよい笑みに表情を綻ばせたまま、覚束ない呼びかけにも応じてくれる。いくらか強張ったクラウドの表情が、解けるような気がした。
「その……ソルジャーって、どんな感じなんだ?」
 ソルジャーと作戦行動を共にするようになって、クラウドの胸に沸き起こってきた疑問を、彼は初めて口にした。
 クラウドにとってのソルジャーとは、ただのエリート集団としての意味合いではなく、憧れを向ける『彼』の存在が大きな割合を占めている。『彼』の考えていること、思っていること、その境遇、その見える景色を共有できるようになりたい。そう願ってはいても、『彼』との距離はあまりにも遠すぎて、その片鱗すらのぞくことは困難だった。
 『彼』と階級を同じくするザックスならば、『彼』を理解するためのなんらかのヒントを与えてくれるだろうか。淡い期待をこめて視線を上げるクラウドへと、ザックスは悩むように眉を顰め、腕組したまま応える。
「質問の意味がわかんねえぞ」
「うーん……」
 クラウドは、少し悩んだ。自分の考えていることを口にするというのは、この少年にとっては余りに難しい。なによりも、『彼』の――セフィロスの、名を出すことが、憚られた。
 彼との繋がりを知られたくないという思いもあったが、ザックスだけでなく、それよりももっと遠い存在である、セフィロスに対する畏敬の念が強かった。
 語気を弱める少年が表情を固くするのを見下ろして、ザックスは先程と同様な、軽快な声を上げる。
「ま、おまえもなってみりゃわかるよ」
「……なれるものならね……」
「大丈夫。俺、簡単になれたし」
 それがザックスなりの励ましなのだろう。遠い目標に挫けそうになるクラウドの頑なに強張った心が、少しばかりほぐれるような気がした。けれど…と、一抹の不安感を拭いきることができない。
 自分は、夢を叶えることができるのだろうか。セフィロスの期待に、沿えることができるのだろうか。再び視線を落としてしまうクラウドへと、二人の立つ丘を数歩進んだザックスが、俯瞰する景色を促すように呟く。
「クラウド、あれ」
 その声音が今までの会話とは違うことを悟り、クラウドは両手を地に付けて、這うように慎重に眼下の景色に臨む。先行する二人にようやく到達したツォンが、後ろから説明する。
「魔晄の試験掘りに使われた施設だ」
 今は寂れているはずのその施設を徘徊する人影には、見覚えがある。つい先日、神羅ビルを襲った彼らの集団と対峙したときの記憶が、クラウドの脳裏に甦った。ジェネシスコピーだ。
「我々の本来の任務はモデオヘイムでの調査だ。ここで戦力を減らすわけにはいかない。…かと言って、ジェネシス軍の動向を見逃すこともできない。つまり……」
「つまり、できるだけ戦闘を避けて潜入しろ。ってことだろ」
「そういうことだ」
 握り締めた拳に力を入れるザックスは、頼もしげな笑みを零す。兵士たちの苦戦したジェネシスコピーも、ソルジャーの彼にとっては準備運動にしかならない。強さからくる自信をもった彼の語調は楽観的で、一瞬、それを羨ましいと思ってしまったクラウドは、すぐにその考えを払拭した。
「入り口はあの倉庫の裏手にある。施設内に入ってしまえば、好きに暴れてかまわない」
「まかせろ。ソルジャーはただの戦闘バカじゃないってとこを見せてやる」
 こういう時、クラウドは自分の弱さに苦々しい気持ちになる。自分が強ければ、足手纏いにならずに力になることができるのだろう。そう考えると、歯痒さを感じずにはいられない。
 しかし、クラウドへと向き直る彼は、そんなことを微塵も気にしないような、頼もしそうな表情を向けた。
「クラウドも見てろよ」
 それを見ると、冷えた心が温かくなるような気がした。深く頷く少年は、短く、うん、と告げる。
 それを確認して、更に破顔する青年は、颯爽と潜入任務の準備を始めた。萎縮して膠着したクラウドの心も、先行きへの懸念や暗鬱とした胸騒ぎも、この青年がいるというだけで、和らぐような気さえする。
「ソルジャーってすごいんだな。俺にもなれるのかな…」
 呟くクラウドの言葉には、先程まで彼の胸を巣食っていた暗雲ではなく、微かな希望すら、滲んでいた。



   ■   ■   ■



 施設敷地内には、巡回するジェネシスコピーが行き来しており、小高い丘の上からそれをのぞくクラウドからは、ザックスがその縫い目を縫うように歩みを進めていく様子を一望することができた。警備にあたるコピーの数が多いことは、なにを意味しているのだろうか。いくら神羅に牙を剥く隠密集団とは言えど、人目につかない場所の隠れ処に配備する数にしては、少々仰々しいのではないかとクラウドは思った。
「あいつならうまくやるだろう。しかし……多いな」
 傍らに立ち、それを見下ろすツォンも同じ考えであるのだと知り、クラウドは顔を上げる。携帯端末を開くツォンは微かなため息を漏らす。
 電波状況は未だに良くないらしい。ジェネシスコピーの動向を本社に報告できずにいて、一行はたった四人で、これだけの施設で工作する敵を相手にしなければならなかった。
 敵の隙を縫うようにして、ザックスはなんとか施設への潜入を成功させたようだ。彼の長身が地下施設へと吸い込まれたのを視認すると、クラウドはそっと胸を撫でおろした。
 安堵も束の間、あたりの静寂を掻き消すように、ジェネシスコピーの断末魔が轟いた。残されていた三人の間に流れる空気が一気に緊迫する。
 まさか、侵入が気づかれたのだろうか――
 再び施設を見下ろすけれど、敷地内を巡回していた警備兵たちは、ザックスの消えていった施設内部ではなく、敷地内の奥まった場所へと集結していく。
「なんだ、どうしたんだ…?」
 驚き目を見張るクラウドへと、既に武器を手に取るツォンが命じる。
「確認してくる。お前はザックスを追え」
 短い命令に頷くと、クラウドは機関銃を手に、立ち上がった。踏み出した第一歩はクラウドの体重を受けて深く沈む。丘を駆け下りる少年に遅れを取ることなく、ツォンもその足を施設へと走らせた。
「行くぞ」
 もう一人、突然の混乱に驚きを隠せない一般兵を引き連れて、彼は集結するコピーの背中を追っていった。



   ■   ■   ■



 施設の内部はひっそりとしていて、使い古された金属の匂いがあたりに立ち込めている。勢い良くその内部へと足を踏み入れたクラウドの体重を受けて、カツンと冷えた足音が響く。あたりを見回すけれど、施設の外にはあれだけ溢れていたジェネシスコピーの姿も無く、その内部は人の気配がまるでなかった。
「ザックス……どこに行ったんだ…?」
 人影が無いのを悟って、クラウドは再び小走りに駆け出していく。広い施設の内部に、ぼんやりと光るエレベーターで上階へあがっていくザックスの姿が見えた。
「ザックス――ッ」
 急いで追いかけようとするけれど、音を立ててせりあがっていくエレベーターには追いつけない。クラウドは悔しさに舌打つと、辺りを見回す。物陰に錆付いたはしごを見つけると、それに飛びついて上階を目指した。
 なんだか、胸騒ぎがする。そしてそれは決していいものではない。
 逸る気持ちに急かされるようにはしごをよじ登っていくクラウドは、その閃く二振りの刃鳴りを聞いた。
 先程まで人気の皆無だった施設に、複数の気配を感じる。ようやく追いついたクラウドの瞳に、その気配の主が舞い込んできた。
 ザックスが、深紅のコートの男のしむけるレイピアを圧し返そうとしている。白髪交じりの白衣の中年男性が、今回の作戦のターゲットだった。
 夢中で最後の一段を蹴り飛ばすように上階に這い上がると、クラウドは逃げ腰で走りだそうとするホランダーを羽交い絞めにしようと飛びついた。
「待てッ」
 必死でもがく彼を押さえつけようとする少年兵に、ザックスが刃を納めぬまま声をかける。
「クラウド、よくやった」
 ジェネシスと対峙するザックスの足手まといにはなりたくない。自分よりも体格のいい男を抱きおさえるクラウドは、激しい抵抗を見せるホランダーの肘の鋭い一撃を受けて、地面に叩きつけられた。
「ぐぅあっ」
 肩から背中までを圧迫する鈍い痛みに喘ぐクラウドを尻目に、ホランダーが声を荒げる。
「しかし、ジェノバ細胞は保管場所がわからない…! 宝条でさえ知らないんだ、見つかりっこない」
「だったらこのまま朽ち果てるさ。ただし…世界も道連れだ」
 紅のレイピアを掲げ、ジェネシスはそれを躊躇いもなく振り下ろす。細い剣でそれを受け止めるキンとした刃鳴りが、再び冷たいフロアに響く。
 未だ胸にむかつきを覚えながらも、なんとか立ち上がったクラウドに、ザックスが叫ぶ。
「クラウド、追え!」
 汚れた白衣に身を包んだホランダーが逃げ出そうとしている。クラウドは短く頷くと、彼を追って再び走り出した。
 ジェネシスを連れ帰る、そう確かに誓っていたザックスにならば、この場を預けることに対してなんら躊躇もない。クラウドは自らの領分を確かに遂行する為、冷えた足音を施設に響かせていた。