軌跡<15>

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 施設を転がるように逃げ出していくホランダーを追い、クラウドは我武者羅に走った。錆びた鉄の匂いのする施設を飛び出すと、道を惑うホランダーが立ち止まり、辺りを見回す後姿が眼に入る。
「待てッ!!」
 精一杯の強さで叫ぶクラウドに気づき、彼は後ろを振り返った。ひげ面の口許に刻まれた、ニヤリ、とした不快な笑みを視止め、クラウドは苛立ちが煽られるのを感じた。
 一発の銃声が、捕らえてやろうと脚を踏み出す少年と、捕らわれてなるものかと踵を返す中年の男の脚を止める。短銃の引き金を引いたのは、ツォンだった。
 両腕でしっかりと銃を構え、直立するツォンが、施設の入り口にあって、ホランダーの行く手を阻んでいた。発砲された弾丸は、ホランダーの足元の雪を抉る。苦々しい表情で顔を上げるホランダーへと銃口を向けたまま、ツォンは厳かに口を開いた。
「そこまでだ、ホランダー博士」
 ツォンの声は、雪の舞う地に冷ややかに響く。憤りの感情を滲ませながら、ホランダーが唸った。
「タークスめ…。邪魔をしおって…」
 前をタークスに塞がれ、後ろには神羅兵が控えている。ホランダーは逃げ道を完全に失っていた。
 この男を捕らえれば、ミッションコンプリートだ。気を逸らせるクラウドは、それでも慎重に、一歩を進めてホランダーへと近づこうとした。
 サク、と雪を踏んだクラウドの視界を、白いものが遮った。白く輝くそれは、柔らかな弧を描く、一枚の羽根。翼を羽ばたかせてその男は、屈強な腕で白衣を纏う恰幅のいい男を容易に持ち上げてしまう。
「アンジール――!?」
 驚愕したツォンは、構えた銃の引き金を引くこともできずに、彼の名を叫ぶ。白い片翼で宙に浮かび上がったその男は、鍛えられた大きな背に刃の広い大きな剣を担いでいた。
「何故…ッ、待て、アンジール!!」
 彼は厳しい表情を浮かべ、ツォンの呼びかけに応じようとしない。我に返ったクラウドが咄嗟に走り出し、その背中へと腕を伸ばして雪を蹴り出すが、軽々と宙へ昇る二人を捕らえることはできず、彼は両手両足を雪について、うつ伏せに倒れこんだ。
 その様を嗤うホランダーの高らかな声に、クラウドは歯噛みした。駆け寄るツォンは、行動を鈍らせる動揺を抑え、短銃の先を天に浮かぶ二人の男へと向ける。
 その指が引き金を引くことを躊躇っていることを知っていたのだろうか。睥睨するアンジールが、低い声音を響かせた。
――邪魔は、させない」
 翼が大きく広げ、天を翔る彼の名残が、二人の視界に散らばった。
 ツォンは、発砲することができずにいた。それは彼に気圧されたから、だけではない。ホランダーを連れ立って翔んでいくアンジールの言葉に、その表情に、覚悟が刻まれていたからだ。
 彼は決して、この膠着状態にあって尻尾を巻いて逃げ出したわけではないように感じる。それなら、何故――
 膝に手をつき、立ち上がる少年兵にツォンは尋ねる。
「……中の様子は?」
「ジェネシスが――。ザックスが戦ってます」
「そうか」
 天を睨み付けたままのツォンの傍らで雪を払う彼に、ツォンは続けて言った。
「さっきの音は、ジェネシスコピーの製造施設が破壊された音だった。コピーどもも何人か殺されていた」
「それは……どういうことですか?」
「アンジール…、なにを考えてるんだ――?」
 構えたままだった銃を収め、ツォンは施設の内部へと目を向ける。
 粘つくような、嫌な予感がする。アンジールの残した言葉の真意を探ろうとするツォンは、彼のいう『邪魔』が、一体なにに対してなのかを図りかねていた。
 ジェネシスコピーによる神羅ビル襲撃のあの夜、アンジールとジェネシスの掃討を命じられ、タークスは別行動をとっていた。後になって、アンジールがジェネシス軍の撃退に多大に貢献したという話をザックスから聞いた。
 会社上層部は依然彼らの抹殺を指示しているものの、アンジールがソルジャーとして行動していることに変わりはない。それは、モデオヘイムでのホランダーの潜伏の情報を彼が提供してきたことでも明らかだった。
「行きましょう」
 感情を押し殺す少年兵の言葉にはっとする。見下ろす彼は、両の拳を強く震わせて、そこに立っていた。
 頭で考えて理解できない事態に逸り、動かずにいられない。ツォンと同じ思いが、クラウドを駆り立てていた。
 飛び去った男の思惑を斟酌しかねていたツォンは、頭を振って愚行を払拭する。
 何よりも優先すべきは、ホランダーの確保だ。渓谷に沿って飛んでいったアンジールの向かう先は、モデオヘイムの集落だろう。
 ああ、と頷いて、先駆けるクラウドに続き、ツォンは走り出す。
 雪のちらつく白い視界は、確固たる意思がなければ目的を容易に見失わせてしまうだろう。崖に沿う道の続く先を目指す二人の胸に、恐怖でなく、はりつくような不安が満ち溢れていた。

   ■   ■   ■

 穴の空いた屋根から広間に舞い降りたアンジールは、ホランダーを降ろすと多くの言葉を交わす前に、再び翼を広げた。
 階下に下りると、人の気配のない忘れられた施設には、実験の副産物として生み出されたモンスターが我が物顔で歩いている。それら全てに、自分の顔が烙印のように刻まれていた。
 アンジールは嘆息した。
 自分を生み出した狂気の実験も、かつては世界の基幹を担う歴史的な大業だったのだろう。その実験に自らの身を捧げた母の偉業をうらむ気持ちは毛頭ない。しかし、背負う誇りを自分に託した、彼女の夫であり自分を育てた父とは違い、実験の成功と科学者としての地位に固執するあまりに狂気にすら気づかない卑賤なホランダーへは、向ける憐憫もなかった。
 もはや、血の繋がりのみに結び付けられた絆に縋ろうなどという想いはない。苦渋を噛むアンジールに、一体の獣が擦り寄ってきた。
 ジェノバは太古の地層から発見された異種生命体だ。その要素を持つ人間を生み出す計画、ジェノバプロジェクトの一旦として、アンジールは生まれた。
 ホランダーの施術によって覚醒したその能力によってアンジールの細胞をコピーされたモンスターには、理性こそなけれど、その感情までをも投影されてしまったらしい。己の傍らに寄り添い、アンジールの地に立つ脚に長い首を擦り付ける獣は、慰撫するようにアンジールを見上げていた。
 強張っていた表情が僅かに緩む。強く決した覚悟が揺らぐことはないものの、否定しようとも悲嘆に暮れていたアンジールの張り裂けた胸の痛みを、自分と同じ細胞を、同じ想いを宿すモンスターだけが理解して、癒そうとしてくれているようだ。
 呪われた身の証、異質である自分の象徴であるコピーに対する親愛の情など欠片もなかったアンジールは、初めてその胸に、かつて自分が人間であった頃に持っていた、優しい気持ちの再び広がるのを感じて、その場にゆるゆると膝をついた。
「お前…、慰めようとしているのか?」
 獣は行儀よく四本の脚を並べて、銀と灰に彩られた毛並みをぶるりと震わせる。形の良い耳を指で撫ぜると、それは心地よさそうに小さく鳴いた。アンジールはそっと目を細めて、獣の耳から喉元までを擽るように指で辿った。
 世を苦しめるものすべてと戦うと誓った。誇りを忘れかけた自分にそれを刻み込んだのが、友人セフィロスであったことが少し可笑しかった。
 彼らと共にいたときは、時に破天荒に行動し、命令無視を平気でやってのける彼らを制するのは自分であったはずなのに。
 ジェネシスとセフィロス。この二人と過ごした時間は、アンジールにとっても特別なものだった。
 知り合う前から、セフィロスは既に孤高の人であったが、近づけば近づくほど彼の人間らしい面白みに気づいていった。ジェネシスは彼に対抗意識を燃やしているのをまったく隠そうともしなかったが、かといって憎んだり嫌うでもなく、むしろ好敵手を見つけて快く思っていたのだろう。
 歯車が狂いだしたのは一体いつのことだったろうか。最後に逢った神羅ビルで、飛び去るジェネシスを見送るセフィロスの痛切な視線に、もはや三人の道が交わることはないのだと確信した。敵としても、仲間としても。
 撫でる手の甲に、獣が優しく頬を摺り寄せてくる。不遇に嘆くアンジールを見上げるその双眸は優しい煌きを保っていた。
 自分の失意を感じ取ったのだろう。アンジールはその頭のを柔らかく手で押さえるように撫でた。
 ジェネシスの劣化を止める方法はない。悲観し、世界を恨む彼の痛みを知るアンジールは、セフィロスと同じく、彼を手にかけることができなかった。
 異端である存在をこの世から抹消する。ザックスにその役を任せることは気が咎めたが、もはや彼以外に任すべき相手もいない。ましてや、単方向コピーの性質しか持たないジェネシスよりも、奇しくも呪われた存在に愛された自分に対してであれば、尚更だ。
 アンジールは懐く獣から手を引くと、彼と視線を合わせるように低く背を丸め、呟く。
「頼みがある」
 つい先刻、最後のミッドガルを回遊するアンジールは、その片隅にある忘れられた教会に降り立った。
 モンスターや残党のジェネシスコピーのうろつくスラムから、自宅へと帰るように促したのは、覚えのある黒スーツの制服だった。神羅所属の特務部隊、タークスだ。彼女は彼らからも逃げるようににその場を後にしたが、人目を忍びその様子を眺めていたアンジールは、ザックスがそこを訪ねるまでを見届け、彼女が彼にとってのなんであるのかを理解した。
「ミッドガルに、行ってくれないか」
 獣は言葉を発することはないけれど、その代わりに緩く頭を垂れた。それはまるで頷くようだった。
 人語を解さないモンスターは、けれどアンジールの思い十分に汲み上げる。
 世を苦しめるもの全てと戦う、その誓いを確かに掲げる自分は、けれど自分こそが世を苦しめると知って、危なっかしい後輩に自分の処断を任せるしかない。せめて、彼がその誇りを貫くことができるように、彼の後ろ盾を支援することが、自分に残された誇りを貫く手段だった。
 全てを解して、獣はその背に備わった片翼を広げ、飛び立っていく。彼の飛び去るのを見届けたアンジールは、これで遣り残すことを全て終えたことを知る。
 ふ、と呼気を漏らして瞳を閉じる彼のもとへと、二つの足音が近づこうとしていた。

   ■   ■   ■

 ようやくたどり着いたモデオヘイム村で、まずツォンがしたことは、ミッドガルへの報告だった。渓谷に囲まれていた場所とは違い、平坦な集落であればなんとか細い電波を確保することができる。
 要点のみを伝えた報告の後、帰還用の救援を要請し、彼は通話を切った。
――あそこ」
 携帯を畳んだツォンが顔を上げると、少年兵の指差す先に、一匹のモンスターが天へと翔びあがっていくのが見えた。翼を持っていながら、その姿は鳥でもなく、異形の獣に他ならない。そこに彼らもいるのだろうということは容易に想像がついた。
「行こう」
 短い言葉に、クラウドはこくりと頷いて、再び彼らは駆け出していく。扉をくぐると、人の気配のない酒場は、かつての盛況ぶりの影も残ってはいなかった。
 奥へと続く扉を見つけて、慎重に歩みを進めようとするツォンは、片手に短銃を備えた。その隣で、クラウドも既に機関銃に手をかけているのがわかった。
「どうするつもりですか」
 少年兵の声は緊張に強張りを見せていたが、いたって冷涼に響く。雪の積もる外の空気に冷やされた室内は涼しく、彼の言葉を乗せて震える。ツォンは俄かには返答を返すことができなかった。アンジールの抹殺を直接指示されているものの、彼の人となりを少なからず知っているツォンにしてみれば当然の躊躇だった。
「抹殺、ですか」
 問うクラウドが、厳しい表情で前を睨み付けていたツォンを見上げる。それは、確認するようでいて、問いただすようでもあった。
 ツォンは、その問いへの返答を考えあぐねていた。タークスにとって、命令は絶対だ。誰よりも命令を忠実に遂行する部隊、それがタークスだった。主任の直下で、その使命に誇りを持ち、どのような命令であってもそれを滞りなく遂行してきたツォンは、偏狭の地に立って初めて、その手に躊躇いを持っていた。
――確認したい、ことがある」
 低く呟かれるそれに、クラウドは応えなかった。
 ジェネシスと対峙しているザックスを案じる想いもある。アンジールを連れて帰るのだと誓った想いも、変わらずにその胸にあった。けれど、ホランダーを連れ去った時のアンジールの表情を固めていた決意に、自分ごときが影響しようとしていることに対しての、不遜を恥じる想いがあった。
 慎重に歩みを進める二人は、広い場所に出た。汚れた扉の上の看板に、公衆浴場と古い文字が刻まれている。誰もいないがらんとした空間が広がっていて、乾いた床を踏み進めると、二階へと続く階段があった。
 二人を苦しめている悪い胸騒ぎが、確かな実感を伴って深みを増していく。クラウドは機関銃を持つ手が震えているのを知って、それを否定するかのように握る手に強く力を篭めた。
 周囲を警戒しながら階段を昇る二人が、視界に長身の男を捕らえたのはほぼ同時だった。
「アンジール……!!」
 痛切な声でその名を噛み締めるツォンの傍らで、クラウドは過度の緊張に歯が軋むのを噛み締めることで耐えようとしていた。
「久し振りだ、ツォン」
 タークスの精鋭とこのソルジャーは、やはり顔見知りであるらしい。アンジールは先程よりも少しばかり表情を解して、その場に立っていた。
 薄日の差し込むフロアに影を伸ばすアンジールが、僅かに頬を緩める。その微笑はどこか悲しげで、けれど彼は確固たる決意をその胸に宿し、それが決して揺るぐことのないことが、圧倒的な存在感からひしひしと伝わってきた。
「ホランダーは、この先にいる。だが、お前達は、ここから先にいかせるわけにはいかない」
「……やはり…」
 ツォンが重い口を開いた。握る短銃を構えぬまま、彼は問う。ひどく痛めた眉間の皺を、クラウドの眇めた瞳がようやく捉えた。
「そのために、ザックスを呼んだのか…?」
 モデオヘイム渓谷に忘れ去られた廃墟で、クラウドの脳裏を過ぎった直感と同じものが、ツォンの口唇から重々しく紡がれる。
 アンジールは、逃げたのではない。ホランダーを連れて去ったのは、それをツォンとクラウドに追いかけさせるため。ザックスが、他に阻害されることなくジェネシスと戦うための膳立てだ。
 そしてここで、アンジールがここで、待ち構えていたのは――
「死ぬ、つもりなのか…?」
 厳かに問うツォンの言葉に、アンジールの口唇が緩い曲線を描いた。彼は首を縦にも、横にも振ろうとはしなかった。ただ、落とした視線を緩やかに上げて応える。
「お前たちも、俺の抹殺を命じられているんだろう?」
――ああ、しかし…」
「安心しろ。お前達に俺は殺せない」
 アンジールの言葉は、その事実を悲しげに呟く。ソルジャークラス1st、その強さをツォンは、そしてクラウドは、よく知っていた。そして誰よりも痛感していたのは、アンジール自身だ。
「だから、大人しくしていろというのか?」
 ツォンの右手が、ゆっくりと銃を持ち上げていく。深い呼吸に胸を上下させていた彼は、構えた照準の先にアンジールを捕らえていた。
 隣に佇むクラウドがはっとして顔を上げる。険しい表情を刻みながら、ツォンは命令を忠実に遂行しようと試みていた。
「怪我だけじゃ済まない」
「私は、タークスだ。そしてこれは…任務だ、アンジール」
――わかった」
 ツォンの指が引き金にかかる。トリガーが引かれてしまえば、取り返しがつかない。
「ッ、やめろ…!!」
 夢中で叫んだクラウドの声がフロアに響き渡るよりも早く、閃光と共に一発の銃声が空を裂いた。しかし、その弾丸はアンジールのいた場所を駆け抜けただけで、彼の残像すら捉えることができなかった。
「ぐぁ――ッ」
 大きな音と共に壁に弾き飛ばされたツォンが痛みに苦悶する。クラウドは一連の動きを眼で追うことができなかった。ただ、床に蹲るツォンが懐を押さえていることから、そしていつのまにかすぐ近くまで到達していたアンジールの右手が屈強な拳を握り締めていることから、彼の腹を攻撃したのだろうということを後追いで理解することしかできない。
「諦めてくれ、ツォン」
 床に這い蹲って、血の混じる痰を吐いたツォンの右手には変わらず、武器が握り締められている。それを持ったまま立ち上がろうとするタークスに嘆息する彼の横顔を、近くにいたクラウドは認識することができた。
 純白の翼と、何をも圧倒するだろう武器を背負う、壮健なソルジャー。それと間近に対峙したクラウドは、胸に機関銃を抱えたまま叫びださずにいられなかった。
「どうして…、どうしてですか、サー・アンジール…」
 アンジールの瞳が、初めてこの少年単独を捕らえる。金糸を打ち震わせる激しい感情が何であるのか、アンジールは知る由もない。この少年を個として認識するのは初めてであるのだから。
「お前は退がっていろ!!」
「あなたはソルジャーでしょう!? ソルジャーがどうして…どうして、こんな……」
 ツォンの掠れた叫びを無視して、クラウドは吐き散らすように言い放つ。首を振って後ろに後退していく彼へと、アンジールは静かな視線を向けていた。
「…俺は、モンスターになってしまった。世界に仇なすモンスターは、駆除されなければならない」
「あなたは違うッ」
「お前に何が…」
「だから、セフィロスはあなたと戦わなかった!!」
 時が止まった。
 ただ、荒く紡がれる少年兵の呼吸が響くばかりのその場所で、アンジールは幼い身に激しい感情を燃やす彼を、どう扱うこともできずに瞠目していた。痛みに呻く身を叱咤して立ち上がろうとするツォンは、その銃を構えようとしない。口数の少なかった少年兵の激情に驚きを隠せずにいたのは、ツォンも同じだった。
 深夜の八番街に呼び出されたあの夜、クラウドは初めて人としてのセフィロスを間近に見た。彼はジェネシスとアンジールのことを聞かれて、クラウドにこう答えた。
【 ジェネシスとアンジールは、神羅を裏切った。今や――敵だ 】
 しかし、彼と会う回数が増えて、わかったことがある。神羅に従属するソルジャーとしての発言と、セフィロスとしての言葉には相違がある。【セフィロス】が語るジェネシスとアンジールはいつも、彼と一緒にいた。
「セフィロスは…、セフィロスは、一度もアンタ達を敵だとは言わなかった。『神羅の敵』であったとしても、あの人にとってアンタ達は大切な仲間だったはずだ」
 アンジールは、激しい口調で言い撒く少年に眼を奪われていた。
 一切の人との関わりを受け付けようとしていなかったあの男は、この少年に何を託したのだろうか。自分の知らないところで、ただの一般兵のように見受けていたこの少年と彼とが、どのような絆を育んでいたのだろう。
「ソルジャーだから、戻れないっていうんですか。タークスだから、命令には従わなきゃいけないんですか。ソルジャーだから、戦わなきゃいけないんですか」
 鈍い痛みを抱えたまま立ち上がったツォンが、動きを止める二人へと、一歩近づいていく。ザックスには未だ知らされていなかったが、ツォンはこの任務がソルジャー候補生の査定任務も兼ねているということを知っていた。
 一般兵からの選出ではあったが、まだ年端もいかない少年兵に一体何ができるのかと高を括っていた。しかし、今この場を圧倒しているのは歴戦のソルジャーでも、暗躍するタークスでもなく、その存在感すら危うく薄らいでいた、彼に他ならなかった。
「セフィロスと約束したんだ。アンタ達を連れて戻るって。俺はソルジャーじゃない、タークスでもない。アンタ達にできないなら…俺が……」
 痛烈な独白は、尻すぼみに終わった。激しい感情を吐露した少年は、細かく胸を上下させている。
 唖然とした様子でそれを見下ろしていたアンジールが、先程まで彼の表情を飾っていたような、穏やかな笑みを浮かべた。
 それに気づいたクラウドは顔を赤くする。思わず吐き散らかしてしまった自分の言葉に、今更ながら羞恥と後悔が彼を熱くさせていた。
――セフィロスは、なんと言っていた?」
 不意の問いに驚いたように、クラウドは息を詰まらせる。自分と彼との繋がりを、このように人に明らかにしたことは未だ嘗てない。穏やかに微笑むアンジールをちらりと見上げて、クラウドはセフィロスからの短い伝言を告げた。
「…二人に会ったら、宜しく、と」
 無理に飾らないその言葉が、かえって彼らしいとアンジールは思った。
 きっと、自分がこれから成そうとしていることに、セフィロスは気づいているのだ。逝こうとしていることを知っていて、それを咎めることもできない彼は、最後の頼みの綱としてこの少年を自分に寄越した。
 けれど、あの晩、決定的に食い違った運命を、今更捻じ曲げられるとは誰も思っていない。それは、誰のせいでもない。誰の意思にも、誰の思惑にも束縛されない、宿命だった。
「セフィロスに、伝えてくれ」
 続く言葉を待って顔を上げたクラウドへと、アンジールは微笑む。
――ありがとう、と」
 瞬間、クラウドは痛恨の一撃を食らい、開いた口唇から呻き声をあげた。腹に叩き込まれた拳に視界がグラつき、次いで丸めた背中を強く払われ、冷たい床にうつ伏せに倒れこんだ。
「かはッ、…ぐ……」
 鈍い痛みに耐える少年の瞼が、自分の意思に反して閉じられていく。ホワイトアウトしていく視界の向こうに、最後に見たアンジールの背中は遠く、伸ばそうとした腕は届くことはなかった。