It's a wonderful life.<12>

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 できるだけ音を立てないようにして、ザックスは扉を閉めた。廊下で足を止めたまま、ザックスは、ふう、とため息をついた。
 部屋の中にいるクラウドを、一人にしてもよかっただろうか。無理やりに付き添っても、居心地悪くさせるだけだ。
 ザックスは頭を切り替えて、大股で歩き始めた。頭が切り替わったとはいえ、胸の奥のモヤモヤが薄れるわけではなかったけれど。
 ニブルヘイムに、宿屋は一軒しかないらしい。その宿屋の部屋も今は、神羅の人間が貸し切っている。
 階段を降りていくと、ヘソクリを貯めていたオヤジがロビーに立っていた。彼は少し気まずそうな笑いを浮かべて、ザックスに食堂の位置を教えた。
 ゆっくりと食事を摂っているわけにはいかない。セフィロスの姿が見えないから、探しに行った方がいい。
 しかし、セフィロスはソルジャーだ。モンスターに襲われたとして、彼が負けるとは思えない。
 昨日はバトル続きだったから、寝て起きたザックスの腹の虫は音を上げる直前だった。ザックスは村人の好意に甘えることにして、言われたとおり食堂へと足を向けた。
「おはよう。よく眠れました?」
 宿屋のおかみさんが、美味しそうなスープをテーブルに並べていた。
「そりゃもう、グッスリ」
 にっこり笑って答えると、ザックスはテーブルに歩み寄り、椅子を引いて腰かけた。
 まっさらなテーブルクロスの上には、四枚の皿と、焼きたてのパン。楽しい朝食の予感が、ザックスの胸を弾ませた。
 ザックスの前にスープを置くと、おかみさんは再びキッチンへ向かおうとした。早速スプーンを握り締めたザックスが、彼女へ慌てて声をかけた。
「あいつは、まだ寝てるんだ。そっとしといてやってくれ」
 ザックスへと振り返り、おかみさんは目を丸くした。『まぁ、そうですか』と応えると、彼女は少し考えて、持っていた皿を棚に戻すと、流しで両手を洗い始めた。
「いやぁ、昨日も大活躍でしたねぇ」
 ロビーにいた宿の主人が、食堂へとやってきた。ザックスの向かいの席に着くと、彼は持ってきた新聞をザックスへと差し出した。
「いやぁ、あれくらい楽勝楽勝!」
 主人のすすめを断ると、ザックスは両手を合わせて、いただきますと声を出した。ザックスにとっては、神羅が出す新聞よりも、村人たちの話の方がよっぽど興味深かった。
「セフィロス、戻ってきてないか?」
 ザックスがそう尋ねると、主人は首を横に振った。おかみさんもテーブルにつき、見てないですね、と呟いた。
 楽しい朝食のはずだった。しかし、たったそれだけの会話で空気が濁り始める。そうか、と軽く呟いて、ザックスはよく煮えた野菜を掬って口に運んだ。
「昨日、なにかあったんですか?」
 宿屋の主人は、遠慮がちにザックスに尋ねた。両手でパンを割きながら、不自然にならないよう気をつけているようだった。
 ザックスはスープを飲むと、美味い、と、素直な感想を口にした。それから口を大きく開けると、二人へ笑顔を作って見せた。
「あいつ、いっつもこうなんだ。勝手にいなくなって、俺に報告書を書かせようとしてるのさ」
 ぎこちなかった雰囲気が、少しだけ和やかになった。よかった、と、ザックスは安堵した。モンスターが発生し、村人たちは緊張している。そんな彼らをこれ以上消耗させるわけにはいかない。
「魔晄炉のモンスターは退治したけど、生き残りがまだいるかもしれない」
 危ないから村から出るなよ、と、ザックスは忠告した。魔晄炉で見たジェネシスコピーを、村人に見られたくはなかった。
 魔晄炉に発生したモンスター、その原因が神羅のソルジャーだったのだと知られたら、神羅の評判はガタ落ちだ。しかし、ザックスが心配したのはそんなことなどではない。
 魔晄炉で見聞きしたこと、あれが真実だとするならば、ソルジャーである自分は、一体どうするべきなのか──。ザックス自身、未だ答えが出せないでいる。
 少なくとも、これ以上セフィロスとジェネシスを会わせるわけにはいかないだろう。そのためにまたジェネシスと、戦うことになるかもしれない。
 俺の夢は、英雄になることだ──。昨日思い出したことを、優しい味のスープと一緒にザックスは噛み締めた。
 ソルジャーは、誰かやなにかの駒なんかじゃない。命令に従うだけの機械でもなく、ましてやモンスターなんかじゃない。
 そうだろう、と、セフィロスに言って確かめたかった。早く、セフィロスを探さなければ──。焦りを握り締めると同時、ザックスは自然とスプーンも強く握り締めていた。
「…え? 悪い、なんだって?」
 声をかけられたことに、ザックスはすぐに気づけなかった。宿屋の主人が、もう一度同じ台詞を口にした。
 橋のことを聞かれたのだ、と気がついて、ザックスは慌てて喋り出した。
「ああ、橋な。ごめん、昨日魔晄炉に行く時、落っこちちゃったんだ」
 怪我はなかったか、と、おかみさんは尋ねた。大丈夫だ、と、ザックスは答えた。
 モンスターが暴れていたから、崩れかかっていたのだろう、と、主人は言った。大きく切られたパンを割いて、ザックスはパクリとそれを頬張った。
「もう一度、掛け直さなきゃならないなぁ」
「大丈夫かしら。また、モンスターに襲われたりしたら…」
 宿の主人の呟きに、おかみさんが心配そうな顔をした。スープにパンを浸しながら、ザックスは顔を上げた。
「橋までの道が安全か、俺が確かめてきてやるよ」
 それは、ザックスにとっては当然の発案だった。ザックスは英雄になりたいと願っていて、誰かを守るために戦うことが、英雄になるための第一歩だと考えていたからだ。
「工事の間も俺が立ち会うから、それなら心配ないだろ?」
 我ながら名案だ、と、ザックスは思った。これで、ニブルヘイムに駐留する名目ができた。
 村の周りにジェネシスコピーが残っていないか、確かめる必要がある。そしてできればもう一度、ニブル魔晄炉へ行くべきだとも考えた。
 魔晄炉に行って、確かめたいと考えた。ジェネシスの言葉は本当なのか、魔晄炉で見たアレは、本当に神羅の所業だったのか──。
「そうと決まったら、さっそく見回りに行ってくるぜ」
 スープを急いで飲みこむと、ザックスは立ち上がった。気をつけて、と声をかけて、二人はなにも疑わずにザックスを送り出した。
 背中に相棒の剣を担いで、ザックスは食堂を飛び出した。空腹も癒えたことだし、するべきことが決まってからのザックスの行動は早かった。
 ザックスはその足で、外へと走り出そうとした。その瞬間、宿の扉をバタンと開けて、誰かが宿に飛びこんできた。
「うわっ!?」
「いたいた、ザックス」
 やって来たのは、ティファだった。『おはよう』の挨拶も交わさぬうちに、彼女は思いがけないことを口にした。
「セフィロスは神羅屋敷にいるみたいよ」
 驚いたザックスの口から、息が零れ落ちていった。神羅屋敷という名前は初耳だったが、ザックスの脳裏に、昨日魔晄炉からの帰り道で見かけた洋館が浮かび上がった。
「あのデカい屋敷のこと?」
「そう。昔から神羅のものよ」
 そう言うと、ディファは宿から出て行った。道案内をしてくれるつもりだろうか。ついて行こうとしたザックスは、ギ、と、軋む板の音を聞いた。
 見上げてみると、階段の上にクラウドが立っていた。マスクを被って、唇を噛み締めたクラウドが、開いた扉とザックスをジッと睨みつけていた。


   ■   ■   ■


 エアリスとの通話を切ると、ザックスはモバイルを握り締め、すう、と、息を吸いこんだ。エアリスと話せて助かった。身体中の細胞がパチパチと弾けて、体が新しく、爽やかになっていくように感じられた。
 ミッドガルに戻らなくては。たとえ神羅が自分の敵になったとしても、小さな小さな花畑で自分の帰りを待っている── 、信じている少女のために、約束を守らなければ。
「エアリス、もうちょっと待ってろよ」
 小さな声で呟くと、持っていた携帯電話をしまって、ザックスは歩き出した。道の先では、ザックスを待っていたクラウドが立っていた。
「神羅屋敷はこの先、階段をのぼって左へ行ったところだ」
 マスクを深く被ったまま、クラウドが呟いた。眉を寄せ、声をひそめて、周りを気にしているようだった。
「ついてこい!」
 低い声でそう言うと、クラウドは駆け出した。クラウド以上に、この村の案内を任せられる者などいない。ザックスは少し笑うと、クラウドを追って走り出した。
 意外なことに、ティファはついてこなかった。魔晄炉に対してはあんなに興味を惹かれていたのに、一体どうしてなのだろう、と、ザックスは考えた。
 石でできた階段を上がって、雑草の茂る脇道に二人は入った。クラウドが速度を緩めたから、ザックスは追い上げた。
 ザックスが隣に着いたのを見計らって、クラウドは顔を上げた。こんなところに、村人の姿はない。だからだろうか、クラウドは顔を上げてザックスの疑問に答え始めた。
「神羅屋敷は、随分古くから建っていたらしい」
 体調はもういいのだろうか、と、クラウドに聞くのが躊躇われた。ザックスは、クラウドが話すことに静かに耳を傾けていた。
「俺が生まれる、ずっと前から空き家だった。ニブルヘイムに魔晄炉を作ることになって、神羅の人たちがあそこで寝泊まりしてたんだ」
 遠目に見えるその屋敷は、確かに古い建物に見えた。屋敷へ向かって歩きながら、クラウドは続けて言った。
「そのうち誰も使わなくなって、モンスターが出る、なんて噂が立つようになったんだ」
「だから、ティファはこなかったんだな」
 そう言われると納得して、ザックスは頷いた。だんだんと、屋敷に近づいて行く。錆びついた門の向こう側に、なんだか薄気味の悪い洋館が見えてきた。
「……俺のこと、黙っててくれてありがとう」
 急な話題の転換に、ザックスはついていけなかった。クラウドを見下ろすと、クラウドはマスクの角度を直して、俯き加減に呟いた。
「昨日、ちゃんと言ってなかったから」
 ザックスは、パチパチと目を瞬かせた。昨日、どんな話をしただろうか。思い出して、ああ、と小さな声を出すと、なんだか頬がムズついて、ザックスは笑みを浮かべた。
「気にするなよ。お前がいいなら、それでいいんだ」
 クラウドは、村人たちと距離を置いているようだった。自分が『クラウド』なのだとあまり知られたくないらしかった。
「だけど、最初はビックリしたぞ。いきなりあんな風に凄まれるとは思わなかった」
 頭の後ろで指を組んで、冗談めかしてザックスは言った。クラウドは照れてしまったのか、ごめん、と小さく呟くと、口唇を再び結んで、下の方を向いてしまった。
「次からは、ちゃんと先に言ってくれ。悩みがあるなら相談乗るし、困ったことがあったとしても、俺が協力してやるよ」
 ザックスがそう言うと、クラウドは顔を上げた。しばらくザックスを見つめた後、クラウドは、うん、と言うように頷いた。
 せっかくの爽やかな朝なのに、この村には、どっしりとした重い空気が立ちこめていた。それは、ザックスの持ち前の明るさをもってしても払拭できないほどのものだ。
 ザックスが感じていた息苦しさを、遥か彼方からかかってきた電話が取り去ってくれた。だからザックスは、なんだか視界が晴れたような気になっていた。それはまるで、屋敷を包みこんでいる真っ青な朝の空のように。
「でっかい屋敷だな」
 高い門が、二人の前に立ちはだかっていた。ザックスが門に手をかけると、キイ、と、耳に痛い音が響いた。
「こんなとこに、ホントにセフィロスがいるのかよ」
 近くで見ると、本当に大きな屋敷なのがわかった。広い庭はろくに手入れもされておらず、なるほど確かに、なにか出そうな気配ではある。
「セフィロスさんがこっちに行くのを、見た人がいるんだ」
 チク、と、ザックスの胸になにかが刺しこんできた。つい先刻、消え失せたはずのモノが、ザックスの胸に再び広がってきた。
「行こう」
 クラウドは呟いて、門に手をかけ、それを開いた。歩き始めたクラウドに続いて、ザックスも敷地に足を踏み入れた。
 モンスターがいるかもしれないと知っていて、どうしてクラウドは果敢に中に入れるのだろう。彼は勇敢な少年だから、モンスターなど怖いと思わないのかもしれない。
 けれど、だけど、もしかしたら──。ザックスの想像が、胸に出来た傷口からゆっくり広がっていく。重い音を立て扉が開いて、痛みが一気に現実味を帯びてきた。
 屋敷の中は薄暗く、電気も通ってないようだった。吹き抜けの広間の天井はとても高くて、二階の窓から薄い光が射しこんでいた。
 広間の奥に、二階へ続いているらしい階段が伸びていた。それは緩いカーブを描いて、柔らかく注いでくる陽の光に照らされていた。
「セフィロスさんは、二階の右の部屋に行ったらしい」
 周りを気にする様子もなく、クラウドは階段に向かって歩き出した。まるで、モンスターがいないことを知っていたかのようだ。
 クラウドはザックスを導くように、階段を登り始めた。その背中を見上げながら、ザックスも階段に足をかけた。口唇がごわついていたけれど、ザックスはそれを濡らして、クラウドへと語りかけた。
「なあ、クラウド。俺、さっき言ったよな」
 昨日は気がつかなかった、と言うよりも、昨日はまだ認識に欠けていた。村人たちのぎこちなさも、村全体を包んでいるどんよりとした重い空気も、魔晄炉へ行き、モンスターを倒せば消えてなくなると思っていた。
 しかし、あの出来事があって、村に蔓延していたものはザックスの心にまで侵蝕してきた。だけどザックスは、それを消し去ってしまいたいと願っていたし、そうすることが自分の夢を叶えるため、彼女との約束を果たすために必要なことと思っていた。
「悩みがあるなら相談乗るし、困ったことがあったとしても、俺が協力してやるって」
 クラウドは、ザックスより先を歩いていた。マスクを被ったクラウドの表情はわからない。けれどザックスは根気強く、クラウドへと話し続けた。
「俺たちは『トモダチ』だ。だから、お前の力になりたい。でも、お前が俺を信用してくれないと、前みたいに、俺の独りよがりになっちまう」
 エアリスの声を聞かなかったなら、ザックスは気づかなかったのかもしれない。エアリスがザックスに点したのは、勇気だったのかもしれない。
 階段の上に辿り着いて、クラウドは振り返った。ザックスを見下ろすクラウドは、きゅ、と、唇を噛み締めていた。
「俺はちゃんと、ザックスを信用してるよ」
「ありがとな。じゃあクラウド、教えてくれ」
 階段を登りきって、ザックスは、窓のほうへと近づいて行った。長い間空き家だったからなのか、窓は埃をかぶっていて、握った手で拭ってみないと向こう側を見ることも出来なかった。
「モンスターが出るって噂、村の人たちは知ってるんだろ? セフィロスが屋敷の方へ行ったのを見た人がいるとして、どうしてセフィロスが二階へ行ったってわかるんだ?」
 ザックスが尋ねると、クラウドは黙ってしまった。直立不動で立ち竦むクラウドのことを、ザックスは静かに見つめていた。
 きっと、屋敷の外から中の様子はわからない。屋敷の中で、誰かがセフィロスを見たはずだ。
 だとしたら、一体誰が──、考えるまでもない。踏み出したクラウドの足の裏を受け止めて、ギ、と、床が音を立てた。
「こっちだ」
 右に曲がって、クラウドは歩き出した。答えないつもりだろうか、それならそれで、構わない。
 いや、少しはショックだった。はぁ、と、ザックスの口からため息がこぼれていく。
 廊下には、いくつもの扉があった。並んでいる扉のひとつに、クラウドが手をかけた。
 部屋の中は薄暗く、モンスターの気配はなかった。並んでいた本棚とベッドは、どれも埃をかぶっている。
 奥の扉を開け、クラウドは次の部屋へと進んでいく。誰もいない部屋で立ち止まって、クラウドがため息をついた。
「セフィロスさんの様子が変なんだ」
 あたりを見回していたザックスは、クラウドを凝視した。クラウドは両手で拳を握り、噛みしめるように続けて言った。
「地下通路へのカギが開いていて、どうやら中へ入ったらしいんだけど…」
 昨夜、ザックスが眠った後、一体なにがあったのか──。ザックスにはわからなかったが、わざわざ教えてもらう必要もなくなった。
 そんなことより、目の前の少年のことが気がかりだった。今、絞り出すように教えてくれた少年は、ザックス以上に混乱して、困惑していたのだろうから。
「クラウド」
 思わず、ザックスの頬は綻んだ。教えてくれてありがとう、と、言う代わりに、ザックスは項垂れたクラウドの頭を撫でようとした。
 子供扱いだ、と、嫌がられてしまうかもしれない。クラウドはきっと、ザックスが知っていた以上に、勇敢に戦ったのだ。そんな彼を、バカにしたのだと思われたくない。だからザックスは伸ばした手で、そ、とクラウドの肩を包んだ。
「大丈夫だ。俺が話つけてくる」
 クラウドは顔を上げて、口唇を軽く震わせた。ザックスが笑みを浮かべるのに努力など必要なかった。
「ここで待てるか?」
 ザックスが尋ねると、開いた口唇を、きゅ、と結び、クラウドが頷いた。クラウドの肩を軽く叩いて、ザックスは歩き始めた。
 地下通路へは、どこから降りればいいのだろう。そう考えて辺りを見ると、扉はすぐに見つかった。
 岩戸に手をかけ押してやると、それが音を立て動き出す。涼しい風が吹き上げてきて、ザックスの体がぶるりと震えた。
 壁に手をつきながら、ザックスは薄暗い階段を下り始めた。土の匂いが鼻を濁らせ、自然と眉が渋くなる。
 けれどザックスは、決して歩調を緩めなかった。クラウドの信頼を、裏切りたくはなかったからだ。
 階段は、屋敷の地下深くまで続いていた。ザックスはその奥で、覚悟していた以上の衝撃と絶望を味わうことになる。