It's a wonderful life.<13>
ザックスの想像通り、いや、想像以上に、クラウドの母親は美人だった。子持ちとは思えない、と、素直な感想を伝えたら、彼女は冗談だと思ったようで、高く透る声で笑った。
クラウドはやはり、神羅屋敷が気になっているようだった。そして、セフィロスが出てこなかったということに、ショックを受けているようだった。
ザックスはそれに気づいていたが、気づかない振りをしていた。クラウドの母親も、元気のない息子の扱いを、よくわかっているようだった。
「たっぷりおあがり、お代わりもいっぱいあるからね」
ザックスの前に、美味しそうなビーフシチューが差し出された。ふくよかな香りを胸いっぱいに吸いこむと、ザックスは両手を合わせ、大きな声で笑って言った。
「いっただっきまーーす!」
「……いただきます」
ザックスの隣で、クラウドも呟いた。スプーンの上に柔らかそうな肉を乗せ、ザックスは口を大きく開けて、噂のシチューを頬ばった。
「美味い……」
あまりに感動し過ぎたせいで、ザックスは、思わずポツリと呟いた。口の中に広がる味わい、溶けるように染みこむ旨味。これを美味だと言わずして、なにを美味と言えばいいのか。
「めちゃめちゃ美味いぞ、俺、こんな美味いシチュー、初めてだ!」
「そうかい。嬉しいねえ」
はにかむように、クラウドの母は笑みを浮かべた。エプロン姿で食卓につき、彼女はザックスとクラウドに、パンのカゴを差し出した。
二人が村に戻ったのは、昼を過ぎた頃だった。その時二人は、ちょうどパトロールから帰ってきたザンガンと遭遇した。
彼の報告によると、村の近くにはモンスターの姿はなかったようだ。よかった、と、ザックスは安堵した。昨日のジェネシスコピーどもは、なんとか追い払えたらしい。
ザックスが笑顔で礼を言うと、ザンガンは驚いて、ザックスを凝視した。何故そんなに驚かれたのか、理由はザックスにはわからなかったが、その後すぐ、ザンガンが応えるように笑ったのを見て、ザックスは少し朗らかな気分になった。
ザンガンがティファへと稽古をつけている間、クラウドに見張りを任せて、ザックスは宿屋で村人たちと、橋の修理工事について打ち合わせた。その間は、ザンガンにもらった笑顔を絶やさないように努めていた。
不安はきっと、山ほどあった。苛立ちも、少しはあった。
それらが出てこないように、ザックスは大きく息を吸いこんで、腹の中に力をこめ続けていた。
ザックスは、神羅屋敷の地下深くから、セフィロスを連れ帰れなかった。セフィロスがなにを悩み、一体なにを調べているのか──、それがわからない自分には、セフィロスを連れ出せないと思った。
大丈夫だ、まだ時間はある。橋を直し終える頃には、セフィロスも屋敷から出てくるだろう。
あいつが自分から出てくるのを、信じて待っていることしかできない。だからザックスは、それまでの間、ティファに、ザンガンに、村人たちに、そして、誰よりもクラウドに心配をかけないよう、明るく朗らかに振舞おうと決意して、実行していた。
「クラウドが友達を連れてくるなんて、初めてだよ」
揃いの金髪を揺らしながら、クラウドの母親は嬉しそうに微笑んだ。照れてしまったのだろうか、クラウドは黙ったまま、ビーフシチューをかき混ぜていた。
「しかも、相手がソルジャーさんだなんてねぇ。この子、迷惑かけたりしてないかい?」
「全然。むしろ、俺の方がいつも助けられてるんだ」
ザックスは饒舌に、これまでの出来事を彼女に話して聞かせた。クラウドと一緒にミッションに行ったこと、他のソルジャーたちも連れて、夕飯を食べたこと。
彼女は興味深そうに、うんうんと頷きながらザックスの話に耳を傾けていた。
「そうだったのかい。この子ったら、村を出てからまったく連絡を寄越さないもんだから」
「色々あって、忙しかったんだよ」
口唇を尖らせて、クラウドは呟いた。クラウドが会話に参加したことで、空気が和やかになった気がして、ザックスは、に、と口を開けて、明るい歯笑いを見せた。
「訓練にも付き合ったけど、クラウドは候補生の中でもスジがいいんだ。次の試験で、絶対ソルジャーになれるって」
それは決して、お世辞などではなかった。今やザックスは、誰よりも、クラウドにソルジャーになって欲しいと願っていた。
きっとクラウドなら、いいソルジャーになるだろう。彼の誇り高さなら、もう十分知っている。
クラウドになら、ザックスにできないことを任せられると思っていた。それをきっと、セフィロスも望んでいると思っていた。
「それに、俺だけじゃない。クラウドは、セフィロスとも友達なんだ」
ふと思い出して、ザックスはセフィロスの名前を口走った。ザックスの右側がクラウドの緊張感を敏感に察知して、ザックスは慌てたように、そのまま早口でまくし立てた。
「だからセフィロスは、今回のミッションにクラウドを連れてきたんだぜ」
「英雄さんと友達なんて、凄いじゃないか、クラウド」
母親にそう言われて、クラウドは困ったように眉を寄せていた。その様子を見て、ザックスは、クラウドがセフィロスとのことを伝えてないのだと把握した。
久しぶりに会う母親に伝えるには、少々複雑な内容だ。黙ってしまったクラウドの代わりに、ザックスが続けて言った。
「ホントは、ここにも連れて来たかったんだけど、あいつまだ、仕事中で」
「神羅屋敷にいるんだってね。食事は? ちゃんと食べてるのかい?」
シチューをスプーンに乗せたまま、ザックスは目をパチリと瞬かせた。そういえば、彼は昨日から、なにも食べていないのではないだろうか。
それでは、いくらセフィロスでも参ってしまう。英雄とはいえ、セフィロスだって、ザックスと同じ【人間】だ。飲まず食わずで根詰めては、心も暗くなってしまう。
「こんな遅くまで仕事なんて、大変だねぇ。そうだクラウド、お弁当を届けておやり」
後で包んであげるから、と、彼女はニコリと笑って言った。クラウドは顔を上げて、少しの間悩んだ後、ぎこちない笑みを浮かべて、こくりと小さく頷いた。
「わかったよ、母さん」
ザックスにはわかった。クラウドが、どれだけ彼女を大切に思っているのか。連絡しなかったのは、なにも彼女を疎んじていたからではない。心配をかけたくなくて、落胆もさせたくなかったからだろう。
クラウドが大切に思うものなら、守ってやりたいと思った。ザックスの頬は自然に緩まり、彼はもう、腹に力をこめないでよくなっていた。
■ ■ ■
外に出ると、肌寒い夜の空気が二人を優しく出迎えた。ニブルヘイムの夜は早い。まだそう遅い時間ではないのに、広場には誰もおらず、給水塔を囲む家々には柔らかな明かりが灯っていた。
ミッドガルの人々と違い、この村の住人たちは、夜遊びをすることもなくそれぞれの家族団欒を楽しんでいるようだった。それはとても幸せで、もっと拙い言い方をすれば、素敵なことだ、と、ザックスは思った。
鼻歌を唄いたいような気持ちでザックスが歩き出すと、後から家を出たクラウドが、ザックスに声をかけた。
「ザックス、ありがとう」
弁当の準備ができるまで、二人は一緒に散歩に出たのだ。腰に手を添えながらザックスは立ち止まり、そのままくるりと振り返った。
「黙っててくれて。その…俺と、セフィロスの………」
夜の散歩でも、クラウドはしっかりマスクを被っていた。もしも知り合いにあった時、なんとか誤魔化せるように。
クラウドのことだ、『貸しを作った』のなんだのと、いらないことを考えているのかもしれない。ザックスはニヤニヤ笑って、夜空に向かって腕を突き出し、そのまま大きく伸びをした。
「さぁて、なんのことかなー」
クラウドは口唇をギュッと結んで、ザックスのことを見上げていた。恥ずかしいのか、悔しいのか──。自分の気持ちに名前をつける前に、クラウドは胸の中でぞわつくそれを、吐き捨てるように嘆息した。
涼しくて静かな、いい夜だった。立ち止まっていると、通り抜けていく風が少し肌寒く感じるほどに。
歩き出したザックスを追いかけて、クラウドは足を踏み出した。顔を上げると、ティファの家に明かりが点いているのが見えた。
「あのさ、クラウド。そういうの、もうやめようぜ」
「え?」
散歩、と言っても、こんな夜に小さく狭い田舎の村で、特別見るものなどない。あんまり離れてもよくないから、広場をぐるりと一周まわればおしまいだ。
「俺とお前は、トモダチだから。だからいちいち、ありがとうとか、そういうのはいらない」
クラウドは、前を歩くザックスの背中を見つめていた。その姿は、なんだか前よりも、大きくて頼もしくて、逞しい姿に見えた。
「そうだろ、クラウド」
村で唯一のなんでも屋は、もう看板をしまっている。クラウドを見つめているザックスだけが、星の光に照らされて、夜のニブルヘイムに浮かび上がっていた。
「でも、俺は──」
クラウドは首を振り、ぎゅ、と、拳を握り締めた。切なさと苦しさが、クラウドの胸を締めつけていた。
クラウドは、ザックスに教えられた。友達になるということは、気を遣わないということじゃない。きっと、気を許すことだ。
上下も、貸し借りも、損得も利害も関係なく、自分がしたいことをして、相手も同じようにする。それでもいいから一緒にいたい、と、思い、決めて、誓うことだ。
けれど、引っかかるモノがあった。それは決して、認めたくないモノだった。
無力さ、歯痒さ、憤り──。息が閊えそうになって、クラウドは思わず呟いた。
「俺には、なんの力もない」
上を向いていられずに、クラウドは視線を落とした。それを口に出来たのは、相手がザックスだったからだ。
二人は、トモダチだったから。だから、伝えてもいいと思った。甘えでなく、弱音でもなく、詫びるような気持ちと心地で吐き出した呟きを、ザックスの笑う吐息が、ふ、と優しく吹き飛ばした。
「あるだろ、お前にしかできないこと」
驚いて、クラウドは顔を上げた。ザックスの言うことに、思い当たるモノなどなかったからだ。
「弁当出来たら、お前が、届けてやれよ」
クラウドの顔が強張り、え、と、小さな声が洩れた。それを見つめるザックスの胸には、なんだかくすぐったいような、不思議な感情が湧き出していた。
クラウドは、不安そうな、心細そうな顔をしていた。ザックスは立ち止まっていられずに、自然に足を踏み出していた。
悲しいのか、悔しいのか、怖いのか、全部なのか──。だとしたら、そんなものは全て消し去ってやりたい。それをすることで、たとえ自分が痛みを感じたとしても。
「なに言われたか知らないけど、あいつのことを一番わかってやれるのは──、もしわかんなかったとしても、あいつが今、一番傍にいて欲しいと思ってるのは、お前だと思うんだ」
それは、ザックスの本心だった。けれど、それを口にした瞬間、ザックスの胸にちくりと刺さるモノがあった。それはきっと、ザックスをずっと締めつけてきたモノだ。
ミッドガル八番街で、クラウドの背を見送る時。運搬船の仮眠室で薄い布団を被った時。
それはずっと、ザックスの胸の奥に燻っていた。チリチリと火花を散らし、痛みと熱さでザックスを悩ませ続けた感情だ。
「お前がどうかは……別に、言わなくてもいいけど。でも、俺、知ってるんだ」
相手の姿が見えるなら、戦い方も自然とわかる。相手の名前が知れたなら、納得も葛藤もできただろう。
だけどそれは見えないモノで、見たくもないモノだった。だから、目を背けてきた。けれど今なら、言える気がした。
ここで言わなければ、もう二度と、口に出せない気がした。それを言おうとする喉がつかえて、言葉は一気に飛び出した。
「セフィロスは、お前が好きなんだよ、クラウド」
声に出して言った瞬間、クラウドの目が大きく揺らいだのを、ザックスは見た。ああ、お前もか、と思うと同時、ザックスの胸からストンと、重たいものが落ちていった。
口唇は乾いていたし、喉も少し掠れていた。外の空気が冷たくて、乾燥していたからだろうか。
それでも、先刻よりも少し、息が楽になっていた。そのことにザックスは驚いて、そして、自然と口隅を緩ませた。
クラウドが睫毛を震わせ、瞳を動かすのを眺めながらザックスが思っていたことは、『これでようやく楽になれる』──、だった。もう、見えない敵に闇雲に剣を揮う必要はない。これから自分がどうするべきか、どうあるべきか、ザックスはハッキリと自覚した。
「でも、セフィロスは………」
マスクを目深に被ったまま、クラウドは俯いてしまった。そんな彼が愛らしくて、愛しい、と、ザックスは思った。
そうなのだ。自分はずっと、クラウドのことが好きだった。
守ってやりたいと思ったし、幸せにしてやりたいと願っていた。
いつからなのかはわからないし、そう思うことすら、許されないことだと思った。男同士、なのだから、二人のことを知っていたから──。けれど、ザックスが恐れていたよりも、コレは決して邪魔になるような気持ちではなかった。
それに気づいたザックスの口許は柔らかく、笑みは自然と音を乗せて、腕は静かにクラウドの方の上に伸ばされた。そっと触れたザックスに驚いて、クラウドが顔を上げる。
「頼むよ、クラウド。あいつの傍にいてやってくれ」
自分がそう言わなければ、不器用なこの二人は、素直に振る舞えないのだろう。そう思うとおかしくて、誇らしいような気持ちになった。
俺がお前を、絶対に幸せにしてやるから。たとえその時、お前の隣にいるのが俺ではなかったとしても。
そう思っていたザックスは、迷いなくクラウドを見つめていた。夜だというのに、魔晄の瞳はよく澄んだ青色の煌きでクラウドを照らしていた。
「あいつ、きっと喜ぶぞ」
温かい、ザックスの笑み。肩にかかる、ザックスの手の温もり──。
クラウドは、自分を縛りつけていた鎖が千切れて、代わりに、痺れた皮膚の内側を熱いものが駆け抜けていくのを感じた。
それはきっと、勇気とか、活力と呼べるものなのだろう。おそらく、クラウド一人では味わえなかった感覚だ。
相手がザックスでなかったら、点してくれなかった心の火。それを大切にしたいと、クラウドは思った。それが、非力で無力な自分にできる、唯一のことのような気がした。
クラウドはごくりと息を呑み、乾いた喉を静かに濡らした。見上げた先では、ザックスは相変わらず笑っていた。
「わかった」
きゅ、と口唇を結び、クラウドは頷いた。震えてしまわないように、湿った手をしっかりと握りしめて。
「俺は、橋をなんとかする。セフィロスのこと──」
ザックスが言い終わる前に、クラウドは首を振った。それに気づいたザックスが、クラウドの肩から手を浮かす。
セフィロスは、神羅屋敷にいるはずだ。なにをしているのかは知らないし、来るなとも言われている。
けれど、行かなければならない、と、クラウドは思った。ザックスにもらったモノを、大切にしたかったから。
「だいじょうぶ」
今日は一日、ずっと気分が滅入っていた。暗澹とした気持ちがそっと溶けていき、上を向くのが苦ではなくなっていた。
「任せてくれ」
しっかりと頷いて、クラウドは言った。精一杯の『心配ない』、が、ザックスに伝わるようにと願いながら。
ザックスは瞠目し、クラウドを凝視していた。そうしてゆっくり笑みを零して、ああ、と、歌うように呟いた。
ザックスにつられて、重いマスクを被ったままのクラウドの口許が綻んだ。それを見たザックスは胸に違和感を覚えていた。
それが一体何故なのか。ザックスは気がついていた。きっと、自分のできる限界を感じたせいだ。
地下室にこもっているセフィロスを、今目の前にいる少年を救えるのが自分でないと確信した。心はそれを、悔しいと──、悲しいと、感じていた。
しかし、それでも十分だと、ザックスは考えた。確かに嬉しさもあったから、それさえ大事にできればいい、と。
用意を終えた母親が、二人へと声をかける。出来た弁当を受け取って、クラウドは神羅屋敷へ向かっていった。その背中を見送るザックスに、乾いた冷たい夜の風が吹きつけた。
宿へ向かうザックスは、振り返ってはならない、と、自分に重荷を科していた。自分を信じて、相手を信じて、そうして育んだ力はきっと、この胸を癒してくれる。
息苦しさは掻き消えて、世界は一層晴れやかになるだろう。心の悲鳴に蓋をして、ザックスは愚かにも、信じたい未来ばかりを追いかけていた。