It's a wonderful life.<14>
ザックスの感じた違和感は、村に帰ってからも消えて無くなることはなかった。むしろ時間が経つにつれてどんどん濃密になっていく。
宿に戻り、シャワーを浴びて、夕飯を調達しようと外に出たザックスは、自分を取り巻く空気がやはり変化したのを痛感した。遠くから忍び寄ってくる粘っこい視線は、ザックスがそちらを向くと跡形もなく消えてしまう。
これでは初日に逆戻りだ。せっかくこの数日間で村人たちとも打ち解けられたと思っていたのに。
心がどんより重くなって、息がしづらくなってきた。気を紛らわせようと、誰かから連絡が来ていないかと確かめてみたが、ザックスのモバイルは大人しいままだった。
コンドルフォートにいる同期からも、村に帰ってから姿の見えないティファからのメールも無い。もう日は暮れてしまったのに、今日もセフィロスとクラウドは戻ってくる気はないようだ。
クラウドがいないのに彼の実家を訪ねるのは気が引けた。余所余所しい雰囲気の宿に戻る気にもなれず、ザックスが暇を持て余していると、給水塔の裏側からザンガンが現れて、いい店があると言って先に立って歩き始めた。
広場から裏路地に入ってしばらく行くと、ザンガンはある家の前で足を止めた。挨拶もせずに家の中へと入っていくから、ザックスは思わずギョッとした。
よく見ると、ドアの近くの窓のあたりに木を削って造ったらしい看板がかかっていた。しかし、まさかここが飲食店であっただなんて、よく注意して見なければきっと気がつかなかっただろう。
「この村に来てから、ずっと世話になっているんだ」
ザンガンは店の主人と仲良くしているようだった。大柄な主人は無愛想な男で、ザックスに軽く挨拶をした後、狭いキッチンの中でさっさと料理を作り始めた。
カウンターの席に着くと、二人の前にビールのジョッキが並べられた。乾杯を誘うザンガンに応じて、ザックスはジョッキを持ち上げた。
久しぶりに飲むビールの味はザックスの喉を爽やかにして、胸の奥で濁った心を濯いでくれるようだった。
「今日は私の奢りだ」
酒を臭いのする息を吐いて、ザンガンは笑って言った。ここはスペアリブが名物なんだと説明して、彼はザックスの同意も得ずに食事を注文していった。
奢りだと言われていたから、文句を言うわけにもいかなかった。それに、ザンガンが注文したのは名前を聞くだけで涎が出そうなメニューばかりだ。
今日はもう、文句は言わずに相手のペースに巻きこまれておこう。そう納得したザックスの前に、大皿に乗った山盛りの肉が差し出された。
「うお、すっげぇ! いっただっきまーーす!」
自分が不機嫌だったことも忘れて、ザックスはジョッキを置いて頬を緩ませ両手を合わせた。ジューシーなタレの絡んだ骨付き肉を両手で持つと、肉汁を零さないようにぱくんと大きく食らいついた。
「うンまい!」
口に物を含んだまま、ザックスは歓声を上げた。カウンターの奥にいる無口な店主が、それを聞いて口隅を僅かに持ち上げていた。
「そうだろうそうだろう」
ザンガンも自慢気な笑みを浮かべてスペアリブに手を伸ばした。いつもの味を楽しむように彼も肉を頬張って、ザックスはそれを横目にガツガツと肉に齧りついた。
「こういう夜は、なにも気にせず食べて飲んだ方がいい」
ヒゲについた肉の欠片を指で取ると、ザンガンはそれをペロリと舐めた。
なんだか彼の言い方が気になった。彼がザックスをこの店に連れてきたのは、やはりなにか考えがあってのことなのだろうか。
香ばしいソースの風味を口いっぱいに味わって、ごくんと肉を呑みこんだ後、ザックスは尋ねた。
「あんた、なんか知ってるのか?」
ザックスの問いかけに、ザンガンは目を丸くした。そうしてしばらくザックスを凝視した後、ふ、と頬を和らげて、布巾で指の汚れを拭った。
「なんだ、気づいていなかったのか」
たっぷりと蓄えられたザンガンのヒゲが踊る。なんだかバカにされたように感じて、ザックスは肉のお代わりに手をつけながら乱暴に問いかけた。
「なにがだよ」
「そうイライラするな」
ザンガンはニヤついたままビールのジョッキを傾けた。それを見たザックスは眉を寄せて口唇を尖らせた。
旨い酒に美味い肉をご馳走になって、せっかく気分が良くなってきたところだったのに。鳴りを潜めていた苛立ちがふつふつと浮かんでくる。胃の裏を引っ掻かれたような心地になって、ザックスはぼそりと悪態をついた。
「お説教かよ」
ザックスの呟きを聞いているのかいないのか、ザンガンは応えずに、ゴクゴクとビールの喉越しを楽しんでいた。彼のヒゲについた泡がプチプチと消えていくのを見つめながら、はぁ、とため息をついたザックスに、ザンガンは尋ねた。
「ドラゴンに襲われたんだって?」
やっぱり、そのことが原因なのか──。ザックスの眉が自然とぴくりと引き攣った。
皆の態度が変わったのはその後だから、そうだろうとは思っていたが。他のモンスターと出くわした時はああはならなかったのに、ドラゴンとのエンカウントのなにがいけなかったのか。
「ああ。でも、俺が倒した」
ぶっきらぼうな言い方でザックスは答え、しゃぶっていた骨を殻入れに放りこんだ。
店主は、会話の邪魔にならないように野菜スティックをカウンターに乗せた。ザンガンは口元に笑みを蓄えたまま、説明を開始した。
「モンスターに襲われた時、普通の人間はまず逃げることを考える」
まぁそうだろうと思ったけれど、ザックスは素直に頷けなかった。
俺はなにかいけないことをしたのだろうか。それならそうと、回りくどい言い方はせずに端的に言ってくれ。
「ドラゴンと遭遇して、なんとか逃げてきた者はいても、倒して帰ってきたのはお前が初めてなんじゃないか?」
ザックスは眉を寄せたままザンガンを凝視した。
確かに、あんな大きなドラゴン相手に普通の人間が太刀打ちできるわけがない。しかし、ザックスはソルジャーだ。いかに巨大な怪物であろうと、ザックスの勝てない敵ではない。
「それならもっと褒めてくれてもいーんじゃないの?」
口先を尖らせて、ザックスは拗ねて見せた。ザンガンがまるで息子のようにザックスを扱うから、ザックスもいつの間にか父親を相手にしているような気安さをザンガンに感じ始めていた。
「みんな驚いているのさ。お前がそんなに強いと思っていなかったから」
べっとりとソースをつけて野菜スティックをぽりりと齧るザンガンの口振りに、ザックスは眉を顰めた。
その科白は聞き捨てならない。確かに、セフィロスの方が有名なことも強いことも認めるが、だからと言ってザックスが弱いわけでは決してない。
「なんだよそれ。俺、これでもソルジャーなんですけど?」
汚れた指で布巾を摘み、ザックスは眇めた眼でザンガンを睨みつけた。
「ソルジャーがそんなに強いと、思っていなかったのさ」
それを聞いたザックスの顔から力が抜けていった。ザンガンがビールを空にして、ジョッキに残った白い泡がしゅわしゅわと溶けていった。
ティファもその父親も、他の村人たちも皆勘違いをしていたのだ。彼らは皆、『ソルジャーがどれだけ強いと言ってもそれはきっと常識的な範囲内だ』と誤解していた。
誰も、夢にも思っていなかったのだ。まさかザックスがドラゴンを倒してしまうだなんて。
そして多分、誰も知らなかったのだ。『倒す』ということがどういうことか、戦闘がどれだけ残酷で勝利がいかに残虐か。
どす黒い血の雨と転げ落ちた竜の生首、怪物の屍の傍に佇む男を見るまで、彼らは皆、平和を願う非道さに気づいてすらいなかったのだ。
「……なんだよ、それ」
小さく呟くザックスの握るジョッキは汗をかいていた。ぎゅ、と握り締めたザックスの腕がぴくぴくと震えていた。
「だから、俺たちを呼んだんじゃないのかよ」
奥歯を噛み締め、絞り出すようにザックスは呟いた。
胸の奥が重たくてこめかみのあたりが熱かった。悔しいのか腹立たしいのか、ザックスは自分の気持ちが自分でもよくわからなかった。
ザックスの考えでは強いことはいいことで、誇らしいことだった。バトルに勝てば無条件のファンファーレで誰からも賞賛されるはずだった。
みんなを守ったつもりだったのに、みんなを怖がらせてしまった。ようやく理解した事実は甚だ不本意で、ザックスはジョッキを握ったまま震える口唇で呟いた。
「……俺がいけなかったのか?」
声に出すと焦燥が一気に押し寄せてきて、ザックスはジョッキを傾け一気にそれを空にした。口の周りの泡を拭って、ザックスは頭を振って香ばしい息を吐いた。
確かに苛立ちは感じている。けれど誰に対して、なにに対して怒ればいいのか。
平穏と平和に慣れ親しんで、戦いの本質を知らなかった村人たちか。愚かにもソルジャーの前に立ちはだかって、怪我で済む内に逃げてくれればよかったものを、果敢にも挑んできた誇り高いドラゴンか。
「そうじゃあないさ」
低くて優しい声で、ザンガンが呟いた。黙ったままの無口な店主がザックスをちらりと見て、ザックスは無言で頷き、お代わりを要求した。
「お前は当然のことをした。だからなにも悪くない」
新しいジョッキを受け取り、ザックスはザンガンを横目に見た。
そうとも。きっと誰も間違っていない。自分の価値観が、自分の感覚が、自分の生き方が間違いであっただなんて、誰も認めたくはないだろう。
だから、納得するしかないのだ。自分は他人(ひと)とは違うのだ、自分の感覚は人間(ひと)に理解できるものではない、と。
「それが、ソルジャーの戦い方なんだろう?」
そう言われたザックスは、ぱちりと目を瞬かせた。そうしてザンガンを凝視して、ひどく間抜けで無防備な表情で彼を見つめていた。
自分は、ソルジャーらしく振る舞えていただろうか。ソルジャーとして恥じない戦いが出来ていたと言えるだろうか。
ザックスは、無駄な殺生は行わない。モンスターが相手でも、通常であれば峰打ちでことを終えようとする。
今日のことで、ひとつだけ引っかかることがあった。仕方がないと自分に言い聞かせてはいたけれど、きっとあの行為が皆を恐れさせたに違いなかった。
「……俺だって、好きで殺したわけじゃねぇよ」
「わかっているさ」
ザックスの呟きに、ザンガンが即座に応える。その優しさはザックスの悴んだ胸に沁みこんで、じわじわと広がり、しっとりと包みこみ、宥めて整えていく。
「皆を守ってくれて、ありがとう」
カウンターに両肘を乗せたザックスの肩に、ザンガンの大きな掌がそっと乗る。ゴツゴツした硬い手だった。戦う男の掌だ。その温もりはザックスに、懐かしい男の存在を想起させた。
夢を持て。そして、どんな時でもソルジャーの誇りを手放すな。
アンジールに云われた言葉は常にザックスと共にあって、けれど時々奥の方へ紛れこんでしまうから、こうして取り出してやらないと忘れてしまいそうになる。
ソルジャーは、モンスターじゃない。心の無い殺戮兵器とも違う。
誰にどう思われようと、ザックスがそれを履き違えるわけにはいかなかった。ザックスは人に褒められるためにソルジャーになったわけではない。英雄になりたいザックスが守るべきは、ザックスに恐れを抱く普通の人々なのだから。
「さぁ、飲もう。マスター、追加注文だ」
ザックスの肩を、ぽん、と叩いて、ザンガンは手を離した。分厚いヒゲを笑いで揺らして彼はメニューを読み上げていく。
両腕をカウンターに乗せたまま俯いていたザックスは、自分の口が綻んで笑っていることに気がついた。あれはいつのことだっただろうか。ザックスは、ミッドガルの居酒屋でカンセルたちと過ごした夜を思い出していた。
だからザックスはもうじっとしていられずに、肉を頬張りビールを煽ってアルコール色の呼吸を吐いた。胸の閊えを肉と一緒に呑みこんだお陰だろうか、もう大分呑んで食べたはずなのに際限の無い空腹が更なる美味を欲しがっていた。
「マスター、スペアリブお代わり!」
顔を上げたザックスの眉間にはもう皺はない。頰がこぼれそうなほどにっかりと笑みを浮かべて、注文するザックスに応えるよう、店主の口許に緩い曲線が浮かび上がった。
陰鬱な村の空気にいつの間にか浸食されて、仲間たちとの繋がりも抑制されていたせいか、ザックスは自分の本領を発揮できずにいたようだ。このままではいけない、ザンガンのお陰でせっかく取り戻したものを失くしてしまいたくはない。
ザックスは酒を煽り、笑顔を浮かべ舌鼓を打ち、楽しい晩餐を満喫した。
ああ、なんて素晴らしい一日。ああ、なんて素晴らしい人生。
そうだろう、と確かめるように、ザックスは心の中で何度も唱えた。しかし、どんなに酒が旨くてもどんなに食事が美味であっても、共に過ごす人間が親しみ易い相手でも、ザックスの心の奥になにかが鉤をかけていた。
村外れの洋館に篭っている二人の仲間。彼らはなにをしているだろう、ザックスと同様に、美味い食事にありつけているだろうか。
ザックスがそうだったように、我を忘れていないで欲しい。二人一緒にいるのだから大丈夫だとは思うけれど。
友人の身を案じながら、ザックスは杯を乾かし、皿に盛られた料理を次々に平らげた。心配はしていたけれど、それはあくまで常識的な範囲内であったと言わざるを得ない。
神羅屋敷の地下室がどれだけの狂気と倒錯に満ちていたか──、それはザックスの想像の及ぶものでは決してなかった。だからザックスの対応が後手に回ったことは事実で、しかしそれを咎められる者も存在しなかった。