It's a wonderful life.<08>
その日は、慌ただしい一日だった。
バカンスを十分楽しむこともできぬまま、ザックスはジュノンに呼び戻された。ジュノンは、神羅の誇る堅固な要塞だ。海へと突き出した巨大なキャノンが強い威圧を与えているが、内部をよく知る者の侵略によって、街は甚大な被害を被っていた。
神羅の兵器を操って、ジェネシスコピーが暴れている。ジュノンに更迭されていたホランダーは、この混乱に乗じて逃げ出した。
あの後輩ソルジャーの言った通り、全て偶然と呼ぶには出来すぎだ。仕組まれた混乱と考えるのが妥当だろう。
首謀者は誰なのか――、それを確かめるために、ホランダーの確保は最優先だ。とはいえ、逃げ惑う人々や戦う同士達を置き去りにはできなかった。
ツォンとクラウドを確保した防衛ラインに残し、アルジュノンで健闘していたシスネを激励して、エアポートに辿り着いたザックスは、蠍の尾を持った新型兵 器に襲われた。神羅の技術は日々進歩している。暴走するメカは強敵だったが、ソルジャーが機械に敗北するなど、その誇りが許さない。
ホランダーを追うのは初めてではなかったが、毎度毎度ちょこまかと、小賢しいターゲットだ。逃げ惑う科学者をようやくエアポートに追い詰めて、ザックスは声を張り上げた。
「そこまで!」
夕暮れが、西の空を赤く染めている。波が光を吸い込んで、茜色の煌めきが揺れていた。
美しい景色に気をとられて、ミッションを疎かにするわけにはいかない。ザックスはホランダーをしっかりと捕捉していて、当のホランダーは絶壁に立ち、もはや逃げ場はない。
しかし、下を見下ろし振り返った彼の顔には、小癪な薄笑いが刻まれていた。
「さあ、どうだろう?」
両手を優雅に広げ、ホランダーは後ずさる。そこから落ちてはひとたまりもないだろう。にも関わらず、恐れる素振りのない様子に肝が冷え、ザックスは叫んだ。
「っおい!」
ザックスの視界から、ホランダーの姿が消えた。空色の瞳を瞠り、ザックスは驚愕した。
「ばかな――」
焦って足を踏み出したが、聞こえてきたのは憐れな男を飲み込む水音ではなく、風を切る翼の爽やかな旋律だ。二人のジェネシスコピーに抱きかかえられて、ホランダーは優雅に空を飛んでいく。
ターゲットを取り逃がし、ザックスは苦虫を噛んだ。音を立てて舌打って、彼は負け惜しみを吐き出した。
「やられた」
忌まわしげに夕陽の空を睨み付ける青年の脇を、ツォンとシスネが駆け抜けていく。その後ろから、硬質な足音を響かせる男が現れた。
「任務失敗。査定大幅マイナスだな」
涼しい声で、耳に痛い台詞を吐く。眉を苦めて振り返ったザックスは、思わぬ男との遭遇に驚きを隠せない。
「セフィロス! 百年ぶりか?」
喧嘩、というほど大袈裟ではないし、仲違い、というほど可愛くもない。百年は顔を見たくないと捨て言葉を吐いたのに、再会は早かった。
セフィロスは涼しい顔で、悠々と近づいてくる。ザックスは彼との遭遇を素直に喜べず、不満げな嫌味を口にした。
「後はタークスに任せておけ。モデオヘイムへ行く途中だったが、お前がここにいると聞いてな」
「嬉しいなあ」
クラウドがソルジャー試験を受けられなかったこと、コスタに休暇に行かされたこと。どちらもセフィロスが原因で、どちらも許してなどいない。
そう主張するように、ザックスはいけすかない態度を崩さなかった。
セフィロスは、反抗的なザックスの言動を咎めなかった。エアポートの縁に立ち、口隅を薄く緩めたまま、セフィロスはおもむろに話しかけた。
「再び事態は動き出したようだ。世界各地でジェネシスコピーが現れている」
「なんでだ――ジェネシスコピーは一掃したはず」
ザックスは、当惑に眉を歪めた。
ミッドガルで民間人を襲い、コスタでのバカンスを妨害し、ジュノンを強襲してホランダーを連れ去った、ジェネシスコピー。彼らの出現の示すことなど、ひとつしか考えられない。
振り返った先にいる青年の顔からは、先程までの小生意気な気色が消えていた。それを知ったセフィロスは少し安堵して、慎重に、ザックスに尋ねた。
「ジェネシスは本当に死んだのか?」
新たにコピーを産み出すには、オリジナルの存在が不可欠だ。新たにコピーが現れたことが、オリジナルの生存を証明している。
「あ――」
モデオヘイムでの苦い思い出をさらい、ザックスは小さく声を漏らした。
あの日ジェネシスは、古びた魔晄採掘場の深い奈落に吸い込まれていった。散々痛めつけられ、底の見えない闇に落ちていった彼が、生きている――そんなはずがない、とは、言い切れない。
ザックスを見つめていたセフィロスの中で、事実は覆されて、予想は確信に変わった。何故か、肩が軽くなった気がした。
「ミッドガルにもコピーどもが来ている」
「そうか――」
「スラムにもな」
意味深な言葉に、ザックスは顔を上げた。
ジュノンへの攻撃は止んだ。色気の無い追いかけっこを終え、ザックスは立ち止まっている。
スラムの状況を慮るザックスの眉がピリリと攣った。
スラムの人々は、ただでさえモンスターに怯えて生活しているのだ。モンスターとの遭遇を恐れながら、教会に通う少女――彼女は無事だろうか、そう案じたザックスの胸中で、今すぐミッドガルに駆けつけたい気持ちに火がついた。
「俺が許可する。帰れ」
不本意なバカンスを命じた憎らしい口唇が、ザックスにとって願ってもない命令を放つ。こうも都合の良い命令が下されるなど思ってもみなくて、了解する声はくぐもった。
「お…おう」
ザックスがまごつきながらも頷くと、セフィロスは彼の憂慮を取り去るように、軽い音で挨拶する。
「じゃあな」
だからザックスは安堵して、遠慮なく踵を返すことができた。
「また」
数歩歩いたところで、ザックスは不意に立ち止まった。
話がうますぎる。この前まで、あんなにもじれったくて疎ましかった彼なのに、こうも優しく扱われては気色が悪い。
そもそも、セフィロスは何故いきなり、スラムのことを口にしたのか。単なる偶然か、わざとなのか――知っているのか、彼女のことを。
そのまま去るのは気が引けて、かといってそれを確かめるほどの勇気も無い。ザックスは振り返り、セフィロスに話しかけるための話題を探した。
「モデオヘイムがどうかしたのか?」
我ながら、上手い選択だと思った。確かにそれは気になっていたし、会話には違和感も無い。
「ホランダーが使っていた装置が強奪された」
予想から進化した確信が、予感に変わる。それを裏付けるために、ザックスは続けて問う。
「ジェネシス?」
「…だろうな」
ジェネシスは生きていて、またなにかを起こそうとしている。なにかが起こるのだろう、と、セフィロスと同じ予感をザックスも感じていて、彼の胸を焦燥が焼いた。
ジェネシスと決着をつけられなかったことを咄嗟に詫びようとして、ザックスはそれを躊躇った。彼を死なせた罪科に苛まれていたというのに、その自分は彼が生きていると知って、どうして謝ろうなどと思ったのだろう。
ザックスは次いで、ジェネシスと聞いて連想せずにいられない、アンジールの動向を知っているかと尋ねようとした。しかし、彼を葬り去ったのは誰でもない自分だったから、それを口にできなかった。
ラザードが居なくなったこと、セフィロスはどう考えているのだろう。クラウドがジュノンに来ている、セフィロスはそれを知っているのか。エアリスとのことは知っているのか、それは、誰に聞いたのか――。
疑問は次々に湧いて、なにから尋ねればよいのかわからない。躊躇い迷うザックスを前に、セフィロスが言った。
「またすぐに会えるさ」
夕陽を背に、セフィロスが確かにそう言ったから、ザックスは顔を上げた。
二人は、つい昨日いがみ合ったばかりだった。今朝もまた、自分をコスタに追いやったセフィロスに対して、憎しみとも言える苛立ちを感じていた。
バトルを重ね、体を動かして、くさくさした気持ちはいつの間にか消えていた。クラウドと遭遇し、彼が拒まずにザックスとの再会を受け入れてくれたから、狭くなった心は喜びにほだされた。
「ぜったいだぞ!」
セフィロスを指差して、ザックスは念を押した。昨日の彼の『また会おう』は無惨に突っぱねてしまったけれど、今日の彼の言葉になら、素直に応えられる気がした。
些細な『すれ違い』だったから、『仲直り』の儀式ならこれで十分だ。これ以上は過剰な気がするし、小さなこだわりに執着する卑小な姿を見せるなど、プライドが許さない。
夕陽に後押しされるように歩き出したザックスの背中には、かつての親友の背負っていた武器が備わっていた。煩雑な想いを噛んで歩いていく彼の背を見つめ、セフィロスの口唇には薄い笑みが象られている。
呑みたくない苦渋を呑まされ、翻弄される青年からの叱責ならば、いくらでも浴びてやれたろう。
背負う誇りに賭けて寛大に振舞うのなら、その背中を送り出すことがせめてもの労いだ。
ああ、なんて素晴らしい一日。
ああ、なんて、素晴らしい人生。